現役女子大生デュオ・あみん
「あみん」と聞くと「懐かしい~」と思う方が多いのではないでしょうか。
1982年7月21日に「待つわ」でデビューし、瞬く間にヒットした女性デュオです。
2人は「ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称:ポプコン)」でグランプリを獲得。
グランプリ獲得者はレコードデビュー権が得られる新人の登竜門となっていたコンテストです。
同コンテスト出身者は中島みゆき、世良公則&ツイスト、長渕剛など、そうそうたるメンバーが並びます。
あみんは1982年春にグランプリを獲得し、同年7月に応募曲「待つわ」でデビューとは展開が早いですね。
「待つわ」はすぐに音楽チャートの上位に入り、2人は毎週ランキング番組に呼ばれるようになりました。
同年の紅白歌合戦に出場し、「待つわ」はこの年唯一のミリオンヒット。年間チャート第1位に輝いたのです!
こう聞くと夢のスター街道を歩んだように見えますが、2人の思惑とは全く違っていました。
あまりに予想外の「歌手生活」
こんなつもりじゃなかった……
「待つわ」の作詞作曲をしたのは岡村孝子さん。
あみん解散の後にはソロデビューし、「夢をあきらめないで(1987年)」があまりにも有名ですね。
あみんは、岡村さんが大学の同級生・加藤晴子さんに声をかけて結成されました。
岡村さんは高校時代から「ポプコン」を知っていて、いつか挑戦したいと思っていたのです。
そこで大学生になり、仲良くなった加藤さんに初めて自作の曲を聞いてもらいました。
加藤さんが「いい曲だね」と言ってくれたので「一緒にポプコンに出よう」と誘います。
意外にも加藤さんは快諾しました。岡村さんの夢の手助けができれば……という気持ちだったのでしょう。
ところが「待つわ」が本当にグランプリを獲得して歌手デビュー。
しかもその活動は大学に通えなくなってしまう目まぐるしいものでした。
歌手になりたいというのはもともと岡村さんの夢。
ですが岡村さんは「大学に通いながら数年かけて実力を身に着けて活動していければ……」と考えていたのです。
それが突然ミリオン歌手になってしまったので生活は急変。
そして自分の夢に加藤さんを巻き込んでしまったことにも苦悩を抱いていました。
短かった活動期間の秘密
活動休止、充電後のソロデビュー
「大学に戻りたい」という加藤さんの思いを汲んで、あみんは1983年12月に活動を停止しました。
1年半という短い活動期間には様々な苦悩が渦巻いていたんですね……。
岡村さんは結局大学を中退しましたが、活動再開を望む声は多くありました。
そこで若干の充電期間を置いて、1985年にシンガーソングライターとして再デビューしたのです。
ではいよいよ「待つわ」について。まずは歌番組で披露された当時の2人の歌をどうぞ。

2人ともフレッシュで透明感のある歌声ですね。
岡村孝子さんがメロディー、加藤晴子さんがハーモニーというスタイルです。
「現役女子大生デュオ」というのも「売り」のひとつでした。
大学生が作った曲にしては歌詞もメロディーも大人っぽいですね。
2人が色違いの衣裳を着ているのも時代を感じさせます。
当時はグループの衣裳は「色違いのお揃い」が定番でした。
平成の今は、「ベースは同じでもひとりひとり違う衣裳」が一般的になっています。
では片思いの切ない主人公の気持ちを描いた歌詞を見ていきましょう。
ただ、あなたを……
同性からの妬みの日々
かわいいふりしてあの子
わりとやるもんだねと
言われ続けたあのころ
生きるのがつらかった
行ったり来たり すれ違い
あなたと私の恋 いつかどこかで
結ばれるってことは 永遠(とわ)の夢
出典: 待つわ/作詞:岡村孝子 作曲:岡村孝子
主人公は恋をしています。
その恋の相手は「とてもモテる人」。
彼に少しでも近づきたくて話しかけると、周りからは心ない声ばかりが聞こえてきます。
同性からの妬み、異性からのからかい……。
彼女はどんどん萎縮して、彼に近づけなくなったのでしょう。
彼も周りの反応を気にしてこれまでと同じようには話せなくなってしまいます。
彼女は「もう彼と結ばれることなんてないんだ……」と塞ぎ込んでしまったようです。
「待つ」という選択
青く広いこの空 誰のものでもないわ
風にひとひらの雲 流して流されて
私待つわ いつまでも待つわ
たとえあなたが ふり向いてくれなくても
待つわ いつまでも待つわ
他の誰かに あなたがふられる日まで
出典: 待つわ/作詞:岡村孝子 作曲:岡村孝子