会い足りないけど会えない
物足りないような日があっても
たまに会えるからいいんじゃない
それはそれで
世の中のことわからない
だけども君のそばにいたいよ
おこがましいかもしれない
けど思うよ
出典: 世の中のことわからない/作詞:村上喜一 作曲:村上喜一
ずっといっしょにいたいと思っていても、世の中それほどうまくは行かないものです。
親と同居だったり、仕事や勉強で忙しかったり、住んでいるところが遠かったり。
ところがいざいっしょの時間をずっと過ごすとなると、いらいらしたり、喧嘩したり。
そんな覚えはありませんか?
どんなにどきどきした恋愛だったとしても、毎日顔を合わせていると鬱陶しく感じたりもするのが普通です。
わからないと正面切って言えるのは凄い
「世の中のことわからない」と、はっきり言うのはかなりの勇気が必要です。
大概の人間は「社会」や「世間」や「世の中」を気にして生きています。
網の目のように張り巡らされた「ルール」、「しきたり」、「常識」に則って、私たちは生活しているわけです。
「燃やせるゴミは火曜日に出す」とか「平社員は肘掛け椅子に座らない」とか「3行程度は良いが5行はNG」とか…
明文化されたルールは簡単ですが、微妙な「掟」は周囲のニュアンスから感じとらなければなりません。
「これはマズいのかな…」→「あ、マズいんだ…」→「やばっ!今度から気をつけなきゃ」
というような経験学習を積み重ねていくことにより人間は初めて社会的動物として誕生するわけです。
ところがキイチビールさんは、「世の中のことわからない」とあっさり言い切ってしまうのです!
汝自身を知れというような「無知の知」ではありません。
反抗でも諧謔でもなく、わからないから、わからないという、スコーンと突き抜けた表明です。
母性本能への精密爆撃
「世の中のことわからない」というのは、いわば「判断の中止」。
エポケー(古代ギリシア語: ἐποχή epokhế)は、原義において「停止、中止、中断」を意味し、哲学においてこの語はいくつもの意味をもっている。懐疑主義においては、エポケーは“suspension of judgment“「判断を留保すること」を意味する。もし真理が到達不可能なものだったり、到達しにくいものだったりするなら、判断を急ぎすぎるとかならず誤ることになるであろうからである。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/エポケー
ぼくなんかに世の中のことがわかるはずがない。
わかったと思ったとしても、おそらくそれは間違いだ。
という、やさしくてやるせない諦観。
そしてそんな「ダメダメな」ぼくだけれど、君のそばにいたい。
というのですから、何とも切ない。悲しいくらいに切ない。
これはもう確信犯的な母性本能への精密爆撃です。
ずるいよ、キイチビールさん!
欲望と刺激に満ちた街
そばにいたいのに…
街は光り輝く
君の気持ちを無視して光るよ
置いてけぼりにされたまんま
人の気持ちはわからないな
とにかく気持ちのいいことばっかりを
探してる
出典: 世の中のことわからない/作詞:村上喜一 作曲:村上喜一
この「街は光り輝く」というフレーズは、実際の街が放つ光のシーンではないでしょう。
刺激に満ちていて何が起こるかわからない、魅惑的で欲望に満ちた都市の暗喩です。
そういう都市の輝きの前では、君のそばにいたいというささやかな願いはかき消えてしまう。
そして刺激と興奮を求める君の関心はぼくにではなく、この都市に向けられている。
ここでのストーリーの展開は、ビールのように少しほろ苦いものです。
素直になりたくて
君のそばにいたい
会い足りないから会いたい
今すぐ君の顔を見たいよ
たまに会えるだけじゃ足りない
走って行くよ
世の中のことわからない
それでも君のそばにいたいよ
おこがましくてもしょうがない
わかってくれよ
出典: 世の中のことわからない/作詞:村上喜一 作曲:村上喜一
君のそばにいたい、という想いが堰を切ったように溢れるフレーズです。
たまに会えるからいいんじゃないか、とうそぶいていたのが別人の様。
世の中のことがどうなっているのかなんて知ったことじゃあない。
君と同じものを見て、同じ音に耳を澄まし、同じ空気を吸っていたい。
君と同じ世界を共有したい。
こんな懇願にも似た切羽詰まったセリフを聞かされたら、堪りませんよね。
どんなに頑なな気持ちさえも揺り動かされることでしょう。