病中にレコーディング
急性骨髄性白血病のため入院していた本田美奈子が一時快方に向かった際、ファンの支援への感謝を込めてこのセレクション・ミニアルバムが企画された。2枚のソプラノ・アルバムから選ばれた5曲のほか、入院直前に録音されていた「ララバイ~ミュージカル「十二夜」より」が収録された。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/アメイジング・グレイス_(本田美奈子.のアルバム)
日本語パートは世界平和を願う
それでは本田美奈子.バージョンの歌詞を見てみましょう。
Amazing grace, how sweet the sound
That saved a wretch like me
I once was lost, but now I'm found
Was blind, but now I see
やさしい愛の てのひらで
今日もわたしは うたおう
何も知らずに 生きてきた
わたしは もう迷わない
ひかり輝く 幸せを
与えたもうた あなた
おおきなみむねに ゆだねましょう
続く世界の 平和を
出典: アメイジング・グレイス/作詞:ジョン・ニュートン 日本語詞:岩谷時子 作曲:不詳
冒頭の英詞はジョン・ニュートンの原詩のまま。
続いて岩谷時子の日本語歌詞を挟んで、最後に英詞がリフレインされます。
日本語歌詞は原詩の雰囲気を保ちながら、歌姫としての本田美奈子.をイメージしているようです。
そして彼女が願う世界平和へと昇華しています。
原詩の「喜びと平和の人生」という言葉に通じるものが感じられるでしょう。
本田美奈子.と岩谷時子とのつながりはミュージカル「ミス・サイゴン」がきっかけ。
「ミス・サイゴン」は1989年にロンドンで初演されて大ヒット。
その後、アメリカのブロードウェイでもロングランヒット。
そして日本公演で日本語歌詞を担当したのが岩谷時子。
本田美奈子.はオーディションを勝ち抜いて主役を射止めました。
「アメイジング・グレイス」は公私にわたる付き合いになった二人の結晶です。
ここには原詩にある宗教的な意味合いよりも、本田美奈子.のための詩になっているように思えてなりません。
最期の「アメイジング・グレイス」
38歳の誕生日の前日に一時退院を許された際、世話になった医師や看護師のためにナースステーションで「アメイジング・グレイス」を歌った。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/アメイジング・グレイス_(本田美奈子.のアルバム)
その後、再入院した彼女が亡くなる直前まで歌っていたのも「アメイジング・グレイス」でした。
この曲は苦難に直面した魂の救済を歌っています。
彼女は「アメイジング・グレイス」に救いを見出せたのか。
その問いかけは私たちがどう生きるかという問題を考えさせてくれます。
まとめ
200年以上の時を超えて
19世紀に日本から遠く離れたイギリスで書かれた一遍の詩に様々なメロディが付けられて歌い継がれました。
それが新大陸に伝わり完成された形になってアメリカを代表する曲になります。
やがて世界に広まったこの曲に一人のアーティストが出会う。
彼女が歌った「アメイジング・グレイス」には200年以上の時を超えた歴史の重みがあるのです。
そこにはこの記事の前半で述べたように、人々の物語がありました。
「アメイジング・グレイス」が人を感動させるのはメロディが美しいからだけではありません。
時代を超えた人の魂の声が込められているから。
日本では夭折した本田美奈子.の人生と重なり特別な曲となって生き続けていきます。
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