ドラマ挿入歌から大ヒット!
歌手・西田敏行最大のヒット曲
西田敏行さんといえば今や作品になくてはならない大御所俳優ですね。
代表作は映画「釣りバカ日誌シリーズ」の浜ちゃんやドラマ「ドクターX〜外科医・大門未知子~」の蛭間医院長。
脚本家・三谷幸喜さんは西田さんを高く評価されていて「THE 有頂天ホテル(2006年)」でキャスティング。
その後「ザ・マジックアワー(2008年)」「ステキな金縛り(2011年)」「清須会議(2013年)」にもオファー。
最新作「ギャラクシー街道(2015年)」まで連続で起用されています。
ですが西田さんは若かりし頃、「歌手」としても活動されていました。
その中でも一番のヒット曲が今回紹介する「もしもピアノが弾けたなら」です。
1981年に発売されたこの曲は西田さんの主演ドラマの挿入歌として発表されました。
主題歌も、西田さんが歌う「いい夢みろよ」だったのです。
でもドラマの人気上昇と共にB面に収録されていた「もしもピアノが弾けたなら」が大ヒット。
その後はドラマ主題歌が「もしもピアノが弾けたなら」に変更されるという交代劇に発展しました。
西田さんが実際にテレビで歌唱した動画があるのでご覧ください。
とても優しい歌声です。
今でも西田さんはちょっと笑いながらセリフを言うなど、着地を軽くする演技が多いですよね。
この歌もそんな西田さんの優しさが溢れていて大ヒットに繋がったのだと思います。
ではこの曲が誕生したドラマについても少しお話させて下さい。
ドラマ「池中玄太80キロ」
1978年に放送されたドラマ「西遊記」で猪八戒を演じた西田さん。
この頃から既に人気はありましたが、「主演」は経験がありませんでした。
そんな中、1980年に放送された「池中玄太80キロ」。
西田さんにとって記念すべき初めての主演ドラマです。
池中玄太(西田敏行)は生活のために通信社と契約し、報道カメラマンとして働いていました。
でも本当にやりたかったのは丹頂鶴の生態を記録に残すこと。
それに「80キロ」の見た目から、女性に対しても消極的でした。
そんな玄太がシングルマザーで3人の娘がいる鶴子(丘みつ子)と出会います。
名前が「鶴子」ですから、玄太にとってはもう運命としかいいようがありません。
不器用ながらも玄太は必死に鶴子にアプローチ。やがて結婚へと漕ぎつけます。
でも娘たちとはなかなか打ち解けられない玄太。そんな中、鶴子が脳内出血で亡くなってしまいます。
玄太は、反発する3人の娘に翻弄される日々……。
やがて玄太と娘たちが本当の家族になっていくというヒューマンドラマでした。
第1シリーズは1980年4月に全13回で放送されました。
その人気を受け、第2シリーズ、スペシャルドラマを2回挟み、第3シリーズも放送。
そして1992年「池中玄太83キロ さよならスペシャル」として物語は完結したのです。
作詞は阿久悠さん!
ピンク・レディーに山本リンダ、あのアニソンも?
最初は挿入歌だったこの歌のどこがこんなにも支持されたのか?
作詞は昭和の大作詞家・阿久悠さんが担当されました。
昭和生まれの方は間違いなく知っているでしょうし、平成生まれの方でも楽曲はきっと耳にしています。
特にピンク・レディーへの詞の提供が多く「UFO」「サウスポー」「渚のシンドバッド」も阿久さんの作詞です。
そのほか、山本リンダの「狙いうち」など、革新的な作品を発表していましたね。
ですがあの元祖アニソンともいえる「宇宙戦艦ヤマト」も阿久さんの作品です。
こちらは旅立つ男たちの熱い思いを重厚に描いていました。
では、阿久さんが玄太のテーマソングとして書いた歌詞はどんなだったのか見ていきましょう。
不器用な男の不器用な優しさ
もしもピアノが弾けたなら
思いのすべてを歌にして
きみに伝えることだろう
雨が降る日は雨のよに
風吹く夜には風のよに
晴れた朝には晴れやかに
出典: もしもピアノが弾けたなら/作詞:阿久悠 作曲:坂田晃一
男がある女性に恋をしました。男にとっては「運命の出会い」です。
でもかなりシャイで恋愛が苦手な男は、どうアプローチすれば良いか分からずおろおろしています。
「もしもピアノが弾けたなら」彼女にしてあげたかったことが頭に浮かんできます。
キザな言い回しも歌だったら伝えられたのに……。
ピアノが弾けたらいろんな感情を歌に乗せて彼女に伝えたかったという無念さで溢れています。
特に日本人男性はなかなか愛の言葉が言えない人が多いですからね。
ぼくには君に何もできない
だけど ぼくにはピアノがない
きみに聴かせる腕もない
心はいつでも半開き
伝える言葉が残される
アア アー アア………
残される
出典: もしもピアノが弾けたなら/作詞:阿久悠 作曲:坂田晃一