歌詞が意味するものは?
作詞・作曲ともに鬼束ちひろ自身が手がけたからこそ、「ヒナギク」には彼女の心の風景が表れていると言えます。
はっきり言うと、「ヒナギク」の歌詞はやや難解です。
わかりやすい若者向けのラブソングとは違い、言葉にできない複雑な愛情を表現しているのではないでしょうか。
「ヒナギク」の世界観を、筆者なりに解釈していきます。
愛と情念が表現された「ヒナギク」
一言で表せば、「ヒナギク」で表現されているものは「愛と情念」です。
先ほども言ったように、単純な愛情ではありません。「情念」という、葛藤を伴う感情です。
思えば、鬼束ちひろという歌手は、昔から「愛と情念」を見据えて歩んできました。
たとえば、デビューシングルの「眩暈/edge」に収録された「edge」を思い浮かべてください。
「edge」では、憎いのに忘れることができない、愛しい恋人への想いが描かれています。
「愛と情念」つまり愛憎入り混じった複雑な感情こそ、鬼束ちひろが一貫して描いているテーマです。
「ヒナギク」が描くもの
先に示した「ヒナギク」の歌詞を思い出してください。
歌の主人公は、愛する人とともに「行きたい」と歌っていますね。
言い換えれば、「一緒に行きたいのに、行くことができない」ということです。
それは自分の「足りない情熱」のせいだと責めますが、彼女にはどうすることもできません。
ならば、「楽園に火をつけて」しまいたい……。そんな感情を描くのが「ヒナギク」です。
成就しない愛もある
繰り返しますが、若者の恋の歌は希望に満ちています。
「たとえ世界を敵に回しても君を愛する」「叶わない恋はない」と、非常にポジティブです。
でもね、世の中には実らない愛だってあるんですよ。
それは、お互いの性格であったり、家庭環境や、もっと複雑な風習が原因かもしれません。
男女の(あるいは同性間の)愛情だけではありません。親子の愛、兄弟愛も同様です。
たとえば、作家・僧侶の瀬戸内寂聴さんのことを考えてみましょう。
寂聴さんは今でこそ「かわいいおばあちゃん」であり、徳のある尼僧です。
ただ、若い頃に自分の不倫が原因で離婚し、幼い娘とも引き離されるという苦難を経験しました。
同じように、鬼束ちひろの「ヒナギク」も、愛しているのに会えない人を描いていますね。
「ヒナギク」が、彼女の実体験を基にしたのか、それとも心の中のストーリーかはわかりません。
ですが、触れたくても触れられない愛情も、世の中には確かに存在するんです。
なぜ「ヒナギク」が鬼束ちひろの真骨頂なのか?
「ヒナギク」は鬼束ちひろの真骨頂である……と、ファンや音楽専門サイトの間で語られています。
ではなぜ、新曲「ヒナギク」が鬼束ちひろの真骨頂と言われているのでしょうか?
その理由は、闇にも目を向ける鬼束ちひろの姿勢が表れているからでしょう。
このページで何度も言ってきましたが、恋愛の歌は「たとえ困難があっても恋を実らせる」と歌うものが多いですね。
人生をテーマとする曲も、「辛いことがあっても前向きに歩いて行こう」と歌うことがほとんどです。
ただそれらは、光を際立たせるために闇を描いているに過ぎません。
鬼束ちひろはどうでしょうか。2001年にヒットした「月光」を思い浮かべてください。
「腐敗した世界」で生きることが綴られています。そこには、救いはありません。
むやみやたらにポジティブになろうとせず、感じたことを包み隠さず描く。
それが、鬼束ちひろの真骨頂です。
闇の「ヒナギク」、光の「Twilight Dreams」
もっとも、鬼束ちひろはネガティブな歌詞しか手がけないアーティストではありません。
たまたま、「月光」で生きる苦しみ、「ヒナギク」で届かない愛を描いたに過ぎないのです。
そして新作「ヒナギク」で重要なのは、カップリング曲が「Twilight Dreams」であることです。
「Twilight Dreams」では「ヒナギク」とは対照的に、愛する人の温かさを優しく歌い上げています。
つまり、闇の「ヒナギク」に対する光の「Twilight Dreams」と言うことができるでしょう。
これを鬼束ちひろの二面性と言う人もいますが、筆者の考えは異なります。
鬼束ちひろは、人が当たり前に持つものを描いているに過ぎないのです。
どのような人も、家庭の中と外では違う顔を見せるものです。
良いことがあれば悪いこともありますし、きれいなものには汚い部分だってあります。
多くの人は、家庭の外で良いこと、きれいなものだけを他人に見せようとします。
一方で、鬼束ちひろは良いものも悪いものも自分の一部として受け止め、歌に昇華させているのですね。
だからこそ鬼束ちひろは「光と闇の二面性を持つ」と言われるのですが、本来はすべての人が持っているものです。
しかし、「悪い部分も見せる」という簡単そうで難しいことをこなすことこそ、鬼束ちひろの「真骨頂」です。
いいえ、鬼束ちひろというアーティストにとっては、良いことも悪いこともなく、全てがありのままに存在するのでしょう。
CDは3形態
通常盤
まずはCDのみの通常盤ですね。