続きの歌詞を読むと、自宅で飲んでいることになりそうです。
モデルとなった親戚の姿、だったのでしょうね。
女が泪を流すときとは
忘れてしまいたい事や
どうしようもない悲しさに
包まれた時に女は 泪みせるのでしょう
出典: 酒と泪と男と女/作詞:河島英五 作曲:河島英五
2番に登場するのは女性です。
彼女にどんなことがあったのか、具体的にはわかりません。
ただ、これも男性目線だと「こんな感じの女性っていそうだな」と思わせる歌詞です。
ところで、「なみだ」の漢字ですが、よく見る「涙」ではなく「泪」になっています。
どちらも漢字としては同じ意味です。「泪」の方が「目から流れる水」という意味がストレートに届きますね。
女性が一人部屋で、声も出さずひたすら目から泪をながすような、そんな場面を想像してしまいます。
女性への賛美と男の言い訳
又ひとつ女の方が偉く思えてきた
又ひとつ男のずるさが見えてきた
おれは男 泣きとおすなんて出来ないよ
今夜も酒を煽って寝むってしまうのさ
おれは男 泪見みせられないもの
出典: 酒と泪と男と女/作詞:河島英五 作曲:河島英五
1番と2番を歌い上げた河島英五さんは、女性の方が偉いと続けます。
それは、つらい、切ないとき、男性は酒に頼る一方、女性は何にも頼ることなく解決しているからです。
そして、酒に頼ってしまう男性はずるい。
でもそれは「男は人前で泣いてはいけないから」という価値観があるからです。
現代では少し違和感を感じる方がいるかも知れません。
この曲を作った頃は「泣くのは弱いこと」、「男が弱いのはいけないこと」という価値観は一般的でした。
ただ、この曲に出てくる男性は、暴れて周りに迷惑をかけるようなことはしてません。
それも男の美学だったのです。
河島英五という人物
河島英五さんは、高校生の時にフォークミュージックに魅せられ、自身も歌い始めます。
あまりにもギターにはまってしまい、お祖父さんからギターを壊されてしまったこともあったそう。
そして高校卒業後、仲間4人で「ホモ・サピエンス」を結成しました。
1976年の「ホモ・サピエンス」解散後、河島英五さんはソロアーティストとして活動します。
河島英五さんは活動の中心をライブにかけており、最盛期のライブ回数は年平均200回。
また、河島英五さんは社会貢献活動にも積極的でした。
1995年の阪神淡路大震災にあたっては復興支援コンサートをプロデュースしています。
そして、その意思は「河島英五音楽賞」、「河島英五記念基金」に受け継がれたのです。
豪快なイメージとは裏腹に
その一方で、自宅では愛妻家で、よく甘えている姿をみたと、これは次女亜奈睦さんの証言。
子供たちとも口喧嘩をする「マイホームパパ」だったそうなんです。
歌作りのために、河島英五さんはあえて自宅を出て世界を放浪。
そこで得た経験は「文明I」、「文明II」、「文明III」という三枚のアルバムに結実しました。
河島英五と紅白歌合戦
河島英五さんは1991年に紅白歌合戦に出場します。
ただ、このときに歌った曲は「酒と泪と男と女」ではなく「時代おくれ」でした。
この年にNHKの番組で歌った「時代おくれ」が大反響となったのが、紅白出場につながったようです。
「酒と泪と男と女」を歌ったのは……
そして、「酒と泪と男と女」は2001年末に放送された「第52回NHK紅白歌合戦」で演奏されます。
このときの歌手は河島英五さんご本人ではなく、親友の堀内孝雄さん。
堀内孝雄さんは、紅白歌合戦のステージをこの年に急逝した河島英五さんに捧げたのです。
この日の紅白歌合戦は息子の河島翔馬さんが客席で観覧をしていました。
堀内孝雄さんが歌う直前、翔馬さんは「堀内さーん、ありがとうー!」と声を張り上げます。
それに呼応するように、堀内孝雄さんは涙を流しながら熱唱。
二番になると、堀内さんの背後のスクリーンに河島さんの映像が流れます。
河島英五さんの映像と堀内孝雄さんの生歌でデュエットするという演出だったのです。
曲の終わりに、堀内さんは「英五、ありがとう!」と叫びました。
会場は感動に包まれ、演奏終了後に白組司会の阿部渉アナウンサーが必死に涙をこらえていました。