「時代おくれ」は阿久悠が作詞、森田公一が作曲で参加した作品
3人の類まれなる才能により生まれた昭和の名曲
1986年、昭和の終わりにシングルでリリースされた「時代おくれ」。
「酒と泪と男と女」と並ぶ河島英五の代表曲で、今も歌い継がれる昭和の名曲です。
フォークソングをルーツにシンガーソングライターとして活動した河島英五は、「時代おくれ」には歌唱で参加。
作詞は稀代の名作詞家である阿久悠が担当、作曲は森田公一が担当しました。
阿久悠と言えば沢田研二の「勝手にしやがれ」や石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」の作詞で知られています。
その優れた才能から生み出された大ヒット曲は数知れず。
「時代おくれ」では、酒場が似合う河島英五のイメージがベース。
時代の変化に流されない男の生き様を綴りました。
一方の森田公一は、作曲家だけでなく「森田公一とトップギャラン」の「青春時代」で知られるボーカリストの面が。
実際の舞台に立つ現場側として魅せ方、聞かせ方を心得ている森田公一。
「時代おくれ」では、河島英五の艶のある太い声が生きるどっしりとした演歌調の歌謡曲を作曲しました。
河島英五、阿久悠、森田公一、それぞれの持つ才能が組み合わさって名曲「時代おくれ」は完成したのですね☆
次に「時代おくれ」がリリースされた当時の時代背景を見ていきましょう!
リリース当時はバブル景気目前
「ダンシング・ヒーロー」も同年にリリースされた
「時代おくれ」がリリースされた1986年は、ちょうどバブル景気の入り口に差し掛かった頃。
お笑い芸人・平野ノラのバブルネタで再注目された、荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」も同年にリリースされています。
ディスコブームに沸き立ち、株、土地、建物などの価格が急上昇するアゲアゲなムードのバブル景気。
人々は流行とダンスミュージック、刺激を求め派手を好みました。
対する「時代おくれ」は曲名からもお察しの通り一見地味な印象の曲です。
ダンスミュージックでもアイドル曲でもない「時代おくれ」は時代のニーズからは外れていました。
そのためリリース当初は注目されず、セールスはふるいませんでした。
次第に評判となり紅白歌合戦で披露されるまでに
「時代おくれ」で、『第42回NHK紅白歌合戦』(1991年)の出場歌手として選出されるに至った。当日は第1部の白組トリで、ピアノを弾きながら歌われている。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/河島英五
読者の皆さんはおそらく御存知でしょう。
バブル景気の勢いは長くは続きません。
1989年から年号は替わり平成の時代へ切り替わりました。
そして「驕る平家は久しからず」という言葉が示すように1991年にはバブルが崩壊。
好景気はあっという間に終焉を迎えます。
そんな時代の変化に伴い、河島英五の歌う「時代おくれ」は次第に人々の心を捉えるように。
河島英五はこの曲により、自身最初で最後の紅白にトリで出場することになりました。
あいにく「時代おくれ」は公式のYouTube動画はなく、お見せできないのが残念です。
昭和の男の理想像とも評される「時代おくれ」の歌詞。
いよいよ紐解いてみましょう♪
誰に対しても理想の男でありたい
生活は質素に足るを知る
一日二杯の酒を飲み
さかなは特にこだわらず
マイクが来たなら 微笑んで
十八番を一つ 歌うだけ
出典: 時代おくれ/作詞:阿久悠 作曲:森田公一
一日の仕事が終わり、同僚と羽目を外すアフターの時間。
歌詞に登場する「男」も思い切り飲んで騒いでストレス発散とおもいきや...。
お酒は嗜む程度に抑えて、決して飲まれることはありません。
出てきたつまみや上る話題にケチをつけることはなく、なんでも有り難く頂きます。
また、二次会でカラオケに行ってもマイクを握りしめて離さない、なんて自分勝手な真似はしません。
「男」は音痴というわけではなく、そこそこ歌に自信はある様子。
しかし持ち歌を一曲歌いさえすれば大満足。
後はみんなの歌を聴きながら手拍子をしたり、サビを一緒に口ずさんだりと引き立て役に回るのです。
夫として父として強くありたい
妻には涙を見せないで
子供に愚痴をきかせずに
男の嘆きは ほろ酔いで
酒場の隅に置いて行く
出典: 時代おくれ/作詞:阿久悠 作曲:森田公一