夜の東京を舞台に歌い踊るのはボーカル、ギターの三原健司。

眩しく輝くライトが逆光になり、シルエットだけが映し出される様子はどこか神秘的なイメージ。

対する南アフリカの人たちは、にこやかな表情がハッキリと映し出された揚々とした印象です。

その対比が全く違ったシチュエーションを彷彿とさせ、やはりどちらを取っても音楽で踊る楽しさは同じということを表しているように映ります。

「LIGHT」と書かれたカセットテープが交わっていく感覚を強める

カップルの息の合ったダンスはまさに阿吽の呼吸。

夜の街を舞台に大きなラジカセで踊る三人組の様子は、どこか日本でも見たことがあるような。

日本においてもストリートダンスはすっかり定着していますよね。

「LIGHT」と書かれたカセットテープをラジカセに入れる場面もまた印象的。

南アフリカの人が日本人の音楽で踊っているという感覚を強くさせます。

その描写もまた、人の境目を越えさせるイメージを湧かせていますね。

子供も大人顔負けのダンスを踊る南アフリカ

対して小さな子供までもが大人顔負けのダンスを踊っている様子には驚かされます。

子供の頃から音楽を楽しむ文化というのは、日本よりもアフリカの方が根付いているのでしょうね。

子供が踊る様子を取り囲んで観る絵面は、特にその土地ならではのような感じがします。

黒人のリズム感の良さがよく取り上げられるのも、こういう所から来ているのではないでしょうか。

お母さんの歌に合わせて踊る様子などもまた、なんとも微笑ましいです。

愛し合う気持ちにもなんら違いはない

リズムが鳴り止み雰囲気が一変するCメロ部分から後の描写は、ダンスをメインにしていたそれまでの部分とはまた違った印象。

カップルや親子が抱きしめ合うシーン、若者たちが満面の笑顔で手を取り合うシーン。

そして夜の街を四人肩を並べて歩くフレデリックメンバー

それぞれ絆を感じさせるような内容になっています。

音楽で踊る楽しさと同じように人が愛し合うことにも、私たちとその人たちでなんら違いはないと表現しているかのようですね。

歌詞を解釈!「ヒカリテラセイマ」という言葉に込められた意味は?

「LIGHT」の歌詞は、一言一言がビートに心地良く馴染むようなイメージになっていました。

MVの内容、楽曲に込められた「人の境目を越える」というテーマからもその内容が気になるところです。

ここからは、そんな歌詞の内容を読み解いていきます。

歌詞をよく見た後だと、MVの見え方もまた違ってくるかもしれませんね。

良い面もあれば欠点もあるのが人間

あなたは正しい 表と裏を持ち合わせてるから
そんな見窄らしい 怒りの影は落とさずに

ヒカリ テラセ イマ

FLASH もう止められない

FLASHBACK LIGHT 思い出して 心に灯を

出典: LIGHT/作詞:三原健司 作曲:三原健司

ここで歌われるのは「人には良い面もあれば欠点もあって当然」ということでしょう。

みんな同じで、何かしら恥ずかしい一面を持っている。

誰かに不甲斐なさを覚えたとしても、自分だって同じような一面を持っているのです。

だったら非難し合うよりも、良いところを褒め合った方が建設的ではないでしょうか。

「ヒカリテラセイマ」という言葉に込められているのは、もっと相手の良い部分にフォーカスしようということなのでしょうね。

答えを導くのは「今どう感じているか」だけ

輝くほどに影はそばで深くなっていくんだから
決める選択肢 今しか描けないドラマに

ヒカリ テラセ イマ

FLASH もう止められない

FLASHBACK LIGHT 思い出して 心に灯を

出典: LIGHT/作詞:三原健司 作曲:三原健司

どんな選択をしたとしても、結局は何かを捨てなければなりません。

その答えを導くのは「今どう感じているのか」ということだけ。

ここの部分の「ヒカリテラセイマ」は、自分の心ときちんと向き合うことを促すものなのでしょう。

自分の心と向き合ってみて、人を蔑むことは心地の良いことでしょうか?

きちんと向き合ってみると、きっとどこか痛む部分を感じるはずです。

どうせ捨てるのなら、こういった陰の部分を捨てていきたいものですね。

人々が一つになれない理由