他人はよく「上手くいく可能性がある」「きみには不可能だ」と言います。
直接言われたら、「ああそうなのかな」と思ってしまうでしょう。
ですが、ちょっと考えてみてください。
その「可能性」だとか「不可能」という言葉は、他人が勝手に判断して言っている言葉に過ぎません。
チャレンジするのは自分なのに、できるかどうかを他人がジャッジするなんておかしな話です。
その人の力量はその人にしか証明できないからこそ、他人の勝手な判定なんてよく外れます。
今は困難の前で立ち往生しているかもしれません。
周りの人はこちらの気持ちも考えず、勝手なことを言うでしょう。
しかし、今この状況を打破するチャンスは必ず巡ってくる。
3行目の「I can do it(俺はできる)」は「挫折を乗り越えられる」ことなのでしょうね。
そしてその時こそが「俺の番」なのです。
ちなみに「I can do it」はGRANRODEOの16thシングル「Can Do」に由来しています。
『黒子のバスケ』のアニメシリーズ最初のOPにもなったので、観ていた人はすぐに分かるかもしれません。
前に進めない君へ
人は困難に陥った時、今までなんともなかったことが試練となって襲い掛かってきます。
叩きのめされたような気持ちで、すっかり凹んでしまうこともあるでしょう。
そんな時でも決して諦めない人こそが、再び立ち上がれる人なのです。
何度でも言い返せる
そんじょそこらの応援歌
越えられる為の亡霊だ
どんなに叩きのめされても
ぐうの音は出し続けるぜ
出典: Glorious days/作詞:谷山紀章 作曲:飯塚昌明
世の中に溢れる応援歌を「亡霊」とちょっと皮肉っているようにも聞こえます。
しかし「越えられるための亡霊」なので、必ずしも非難しているわけでもないのでしょう。
立ち上がれる決め手になるわけではありませんが、「もう少し頑張ってみようかな」と思えます。
たとえその応援歌が幻のようなものだったとしても、力を与えてくれるのです。
無責任なことを言ってくる、周囲の人よりはマシかも。
立ち上がろうという力があれば、どんなに凹んでいても復活できます。
4行目がまさに、困難を跳ね返して立ち上がる最中の姿を現しているのでしょう。
通常は「ぐうの音も出ない」といって、「全く反論できない」という意味で使われる表現です。
この歌詞では、「どんなに打ちのめされても抗ってやろうぜ!」という気概が伝わってきますね。
自分のことを決められるのは自分だけ
今更やる気スイッチの
在処を探すつもりかい
誰が何を 君に何を 言ったっていうのかい
それでも少しでも変わったのかい
いつでも決めるのは自分だったはずさ
死ぬまで生きるぜ
出典: Glorious days/作詞:谷山紀章 作曲:飯塚昌明
前半2行の歌詞は少し解釈が難しいのですが、これは誰の言葉なのでしょうか。
無責任なことを言い続けている他人の言葉にも、この歌詞そのものが問いかけているようにも読み取れます。
今挫折から這い上がろうとしている状況だとしたら、這い上がるきっかけを探しているのかもしれません。
つまり、そのきっかけが「やる気スイッチ」なのでしょう。
それを押したらやる気が湧いてきます。
ですが実際に行動するのは自分。
要するに「やる気スイッチ」とは他人から押してもらうのではなく、自分で押すものです。
それが「決めるのは自分」ということと繋がっているのだと考えられます。
だとすれば、前半2行のセリフはこの歌詞そのものが問いかけているのでしょう。
応援歌で勇気づけられても、結局自分を奮い立たせるのは自分なのですね。
君の番!
自分を越えていけ 大胆に越えていけ
ついでに目の前の相手も越えていけ
You can do it なんだって
君の番なんだって叫べ
未来の良し悪しを決めろ
出典: Glorious days/作詞:谷山紀章 作曲:飯塚昌明
どんなもの困難でも、最大の敵は自分というのはよく聞く話はないでしょうか。
場合によってはライバルである他人もいるかもしれませんが、その前に立ちはだかるのは自分なのです。
立ち上がるためには、自分に勝たなければなりません。
ライバルは自分に打ち勝つ時に同時に乗り越えれば良いのです。
ところで後半は1番では「俺の番」になっていたのが、2番では「君の番」となっています。
しかしこの部分の「俺」と「君」は、同じ人物を指していると考えた方が自然でしょう。
その人物とは、今挫折から立ち直ろうとしている人です。
1番は「『俺の番だ』と叫べよ」で、2番は「君の番だから叫べよ」という意味だと考えられます。
文言は似ていますが、意味はまったく違うのが分かるでしょう。
どちらでも叫ぶのは、立ち上がろうとしている人なのです。
「Glorious days」は応援歌なの?
「Glorious days」の歌詞は、簡単にいうと「挫折からの立ち直り」がテーマなように思えます。
同じような題目の曲は他にもたくさんあり、聴く人を勇気づけてくれる応援歌という印象です。
ところが「Glorious days」では、2番の歌詞で「そこらの応援歌は亡霊だよ」と歌っていましたね。
まるで「Glorious daysはその辺の応援歌とは違う」とでも言いたげです。
先に解説したように、「Glorious days」は他の応援歌を批判しているわけでもないでしょうが…。
それでは、「Glorious days」はどう違うというのでしょうか。