愛のない毎日は 自由な毎日
誰も僕を責めたり できはしないさ
それでもいま君が あの扉を開けて
入って来たら 僕には分からない
君のよこを通りぬけ 飛び出してゆけるか
暗い暗い暗い 闇の中へ
眠れない夜と 雨の日には
忘れかけてた 愛がよみがえる
出典: 眠れぬ夜/作詞:小田和正 作曲:小田和正
傷ついた心で独りで過ごす日々。でも背中合わせにあるのは解放感です。
指示を受けて動く必要もないまったりと過ぎる時間の中にいます。
自らグイグイと攻めるのが西城秀樹さんの愛だったのに…などとがっかりしないでください。
この時期の西城秀樹さんには大人の対応も求められます。
君のことを忘れて君のいない世界で生きて行こうとした僕。
ところがその世界は自分が望む世界では無いことに気が付きました。
あの日の2人の前にあったのは、独りでは作れない愛。
閉ざされた闇と静かすぎる空気で募る切なさ。
愛がとても大切なものだったことに気が付いたのです。
西城秀樹さんは「恋する季節」から始まって熱い愛や叶わぬ愛を歌い続けました。
一貫して歌のテーマが「愛」であることは間違いありません。愛の対応にブレはありませんね。
第3位 傷だらけのローラ
魅力をブラッシュアップしました
1974年12月31日、「傷だらけのローラ」で2年連続となる『第16回日本レコード大賞』歌唱賞を受賞。『第25回NHK紅白歌合戦』もトップバッターとして初出場。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/西城秀樹
ファン層も順調に広がり、スター歌手の地位を不動のものにしていた西城秀樹さん。
多くのヒット曲にも恵まれ満を持しての初出場となりました。
『ローラ』という女子の名前を心の底から訴えかけるように歌うスタイル。
感情を込め歌詞の中に入り込むように歌うポップスは、西城秀樹さんにしか歌えません。
1974年はドラマ・映画・コンサートツアーなど超多忙で充実した年。
当時19歳の西城秀樹さんのパワーとオーラが日本中を覆いつくしました。
第2位 YOUNG MAN(Y.M.C.A.)
とにかく元気になれる曲
第2位は「YOUNG MAN(Y.M.C.A)」です。
リリースは1979年2月、オリコンの順位は1位を獲得しました。
皆で盛り上がるためには欠かせない曲です。
音楽に合わせて踊る時にボックスを踏むのが精いっぱいでも「YOUNG MAN(Y.M.C.A)」なら大丈夫。
「YOUNG MAN(ヤングマン)」でこぶしを前に突き出します。
「Y.M.C.A」で腕を思い切りそれぞれのアルファベットの形にすれば出来上がり。
振付を覚えるのが苦手でも踊れます。少しくらい動きが合わなくても気にせず踊りましょう。
洋楽のカバーということでリリースには紆余曲折がありました。
それでも「聴く側も参加できる曲」を目指した結果、西城秀樹さんの最大のヒット曲になりました。
そのような逸話にも西城秀樹さんのファンと歌への情熱を感じることができます。
第1位 ブルースカイ ブルー
いまでもこの曲をどこかで…
少しだけ時が行き
もう過去といえる恋の日々を
青空が連れて来た
もう二度と逢えぬあのひとだろう
悲しみの旅立ちに
まぶし過ぎた空 思い出した
ラララ…
青空よ 心を伝えてよ
悲しみは余りにも大きい
青空よ 遠い人に伝えて さよならと
出典: ブルースカイ ブルー/作詞:阿久悠 作曲:馬飼野康二
歌詞の後半はもう逢うことがない人への思いを歌います。
終わったことと思うのは周りにいる人たち。自分の心の中にはまだ愛した人がいるのです。
でももう断ち切らないと悲しむのは、自分が一番愛した人。
同じ空の下に愛した人がいることを願って、遠く青い空に歌いかけます。
最後に歌う『さよなら』が、西城秀樹さんの悲しみを包み込む声で届きました。
リリース時には想像が出来なかった、西城秀樹さんとの少し早いお別れ。
別れを歌う「ブルースカイ ブルー」ですが、愛があればまた逢えると信じていたと想像します。
西城秀樹さんが残してくれた愛…今もきっとどこかで皆のためにこの歌を歌っているはずです。
最後に
西城秀樹さんがリリースした多くの名曲から10曲を選びました。
選んだ後もそういえばあの曲も…と次から次へ思い出して、本当に名曲ぞろいであることを再確認。
西城秀樹さんという唯一無二の存在を支え盛り立てる、周囲の人たちの熱意は今も冷めません。
自然に応援をしたくなる人柄と才能を西城秀樹さんが持っている証。
新曲が聴けないことが寂しいと同時に悔しさも…。
でもいつまでも悲しみの中にいることは西城秀樹さんの本意ではありません。
日本中の元気を後押しした曲で明るく終わりたいと思います。