新御三家「西城秀樹」生涯歌手の人生

まず初めに、2018年5月16日急性心不全のために63歳の若さで、帰らぬ人となった歌手西城秀樹さんのご冥福をお祈りしたいと思います。

70年代のスーパースター新御三家と呼ばれた西城秀樹さんは、生涯歌手を貫き通した昭和のアイドルでした。

【ブルースカイブルー/西城秀樹】叶わない恋…?それとも永遠の愛…?気になる歌詞の意味を徹底解釈!の画像

西城秀樹の誕生

本名:木本 龍雄(きもと たつお)
誕生日:1955年4月13日
出身地:広島県広島市

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/西城秀樹

広島で生まれ育った西城秀樹は、音楽には全く興味のない普通の少年でした。

学生時代音楽の成績があまりにも芳しくなく、趣味のジャズギターを得意としていた父親は、秀樹の兄と一緒にドラムを習いに行かせたそうです。

その頃の様子を振り返って、将来はロンドン辺りで有名なミュージシャンになってることを夢見て音楽に勤しんでいましたとテレビ番組で語っていました。

1972年3月25日、ビクター音楽産業 (RCA) よりシングル「恋する季節」で歌手デビュー。
キャッチフレーズは「ワイルドな17歳」。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/西城秀樹

西城秀樹が芸能界に入るきっかけは、学生時代にたまたま歌っていたジャズ喫茶でのスカウトでした。

敏腕プロデューサーと言われた上条秀男氏に声をかけられ、数日後に上京「家出してきました」と上条氏宅に居候を決め込んだそうです。

厳格だった西城秀樹の父親が実家に引き戻すべく上条氏の元へ乗り込みましたが、秀樹の姉が父親をなだめ説得。

お姉さんがいなければ、この世に西城秀樹は存在することはなかったかもしれませんね。

1978年リリース「ブルースカイブルー」

『ブルースカイ ブルー』は、1978年8月25日にリリースされた西城秀樹の26枚目のシングルである。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/ブルースカイブルー

「ブルースカイブルー」は1978年の作品。

ダイナミックな曲調で親しまれてきた「ブルースカイブルー」はダイヤモンド☆ユカイの歌唱によってカバーされ「西城秀樹ROCKトリビュートKIDS WANNA ROCK!」に収録。

ほかにも、河村隆一のカバーアルバムeverygreen~あなたの忘れ物~」に収録されています。

「ブルースカイブルー」歌詞紹介

あのひと指に からんでいた
ゴールドの指輪を ひきぬき
このぼくとともに 歩いてと
無茶をいったあの日

おそれなど まるで感じないで
はげしさが 愛と信じた
立ちどまることも 許さずに
傷をつけた あの日

出典: ブルースカイブルー/作詞:阿久悠 作曲:馬飼野康二

ゴールドの指輪は70年代に大ブームになったエンゲージリングかもしれません。

もしくは、既婚の彼女との不倫?

婚約を破棄して、もしくは離婚して自分と一緒になってほしいと無茶を言う彼の彼女への強い想いから幕をあける楽曲

17歳でデビューしたアイドル西城秀樹が歌う楽曲として、当時はかなりの衝撃があったと思います。

恋仲の二人は、この後どんな結末になるのか、どれだけの人を悲しませるかもしれない、なんていうダメージには無関心。

振り返ってみると、自分の最愛のひとも苦しめて傷つけたかもしれない。というふうに解釈できます。

まぶしすぎた空

振り向けば あの時の
目にしみる 空の青さ思う
悲しみの旅立ちに まぶしすぎた空思い出した

出典: ブルースカイブルー/作詞:阿久悠 作曲:馬飼野康二

このパートから、完全に過去の出来事だったことが推測できます。

空の青さは、きっと彼には皮肉だったのではないでしょうか?

二人が結局別れる決心をして、それぞれの道を進んでいった別れの日もまぶしい青空だったのでしょう。

二人だけの暗闇に閉じこもっていた彼には、おてんとさまは目にしみるほど明るくて晴れ晴れとしていたに違いありません。