私たちが心に抱く無数の煩悩の類は、複雑極まり無く、一筋縄では解決に至りません。
何度も悩みぬいて、涙を枯らした先に、前向きになれることもあれば、そうではないままの時もあります。
ここで「五線紙」いわゆる「五線譜」について見ていきます。
この紙の上に描かれるのは、四分音符や休符などの記号だけで、全てが白か黒の2色のみから成り立ちます。
だからこそ、私たちが持つ悩みの種を音楽に昇華させるという行為は、複雑を紐解くことに繋がるといっているのです。
音に身を委ねて、自身の持つ憂いの輪郭をなぞっていく。
そうすることが、歌詞に描かれている「謎の解決」になっていくのでしょう。
そして心の中をリセットして前に進み続けていくという意味で綴られているのが、最後の行にある「ゼロ」なのです。
絶望の瀬戸際で
表裏一体
想像を超えていく程に
誰も彼もが皆
作り出した今をフィードバック
空想の中に浮かび上がる
夢見たいな未来さえ
だんだん見えなくなっていく
出典: 旋律の迷宮/作詞:寺中友将 作曲:寺中友将
上手く行っている瞬間と、それが崩れ去る瞬間は綱渡りのように共存しているといっています。
前半の3行では、思い描いた景色を掴み取れた自分に酔いしれている姿。
後半の3行では、更に高みを見ようとし続けていると、その枠組みが崩れていく姿が映し出されています。
心理学において、マズローの欲求段階説というものが存在します。
食欲などの「生理的欲求」から始まり、あるべき自分になりたいという「自己実現欲求」までの5段階。
生活に不自由なこともなく、ある程度の人間関係、安全環境が整っているからこそ「高い理想」を望んでしまうのです。
そうした欲望の裏に潜む、他者比較や自己嫌悪によって、見えかけていた未来すらも真っ暗になっていくのです。
そういった意味では、成功している瞬間は奇跡であり、背後に潜むのは恐ろしいほどに巨大な絶望なのでしょう。
諦念
地上46階見渡すcity
まるで神の様だね 1歩リーチ
上がるミュージック回してハンズアップ
後には戻れないぜ no no
謎がどこからともなく蠢く
回る渦の中に溺れていく
正義の牙は誰にも折れはしない
出典: 旋律の迷宮/作詞:寺中友将 作曲:寺中友将
ビルの高層階から街を見下ろしている主人公の姿が映し出されています。
ラップ調のようで、愉快に謳い上げられていますが、状況を加味するに思い描いたのは「自殺」ではないでしょうか。
「神様に1歩近づけた」という思考そのものから、拭えない緊迫感や悲哀感を感じます。
実際に「死」を選んだのか、そうではないのかについては明確には述べられていません。
しかしながら、最終行の歌詞を読み取ると、まだ生を諦めていないように解釈することが出来ます。
自分の中に燃える心の火は小さくとも、今だ消えてはいないのでしょう。
絶望的な状況を経験した後の何かを掴み取るパワーというものは計り知れません。
どこかでバシッと主人公の覚悟が決まったような音が聞こえるフレーズでもあります。
ありのままに生きていく
固まったイメージ
走り出す最果ての果てへ
たどり着くことさえイメージしている
絶対的な答えは無くて
1度きりの時 全てを狂わせて
今灰になるんだ
出典: 旋律の迷宮/作詞:寺中友将 作曲:寺中友将
理想を掴んでいる自分の姿は、脳内に広がっているといっています。
歌詞4行目で述べられている「1度きり」と聞くと、非常に重要で運命が掛かっているように感じられます。
しかしながら、私たちが何かに挑戦すること、それはもう戻らない不可逆的なものなのです。
だからこそ、自分の未来を描いていくためには、挑戦を止めてはならないし、中途半端な気持ちでは駄目。
最終行では「灰」とすら形容するほどに、真っ直ぐに突き進んでいけといっているのです。
冒頭で述べたマルかバツかの二元論で決められた解答は存在しない。
ただひたすらに夢を追いかけていいのだと背中を押されるような熱いメッセージが綴られていると考察します。
未来を望んで
旋律の闇を抜け出して
嘘みたいに笑う君と逃避行
曖昧な謎解き明かして
五線紙の中 全てが白と黒
全てが白と黒
今ゼロになるんだ
出典: 旋律の迷宮/作詞:寺中友将 作曲:寺中友将
迷宮から抜け出す方法、それは未来のイメージを固めて、諦めることなく進み続けることにあります。
シンプルでド直球なメッセージですが、これこそがKEYTALKの魅力ではないでしょうか。
自分自身を嫌いにならないこと、見つめ直して心を整理すること。
この楽曲で伝わってくる自分を肯定していく行為こそが、生きる上で必要な要素だと考えます。
憂いた想いを音楽に変えて、心のモヤモヤをゼロにしていくのが彼らの生き方。
そして、私たちの煩悩や憂鬱を吹き飛ばしてくれるのも、またKEYTALKの音楽なのでしょう。