虚飾の街、東京
歌詞も3番になると石坂まさをのシビアな視線が光ってきます。
見てみましょう。
ここは東京 ネオン町
ここは東京 なみだ町
ここは東京 なにもかも
ここは東京 嘘の町
出典: 女のブルース/作詞:石坂まさを 作曲:猪俣公章
作詞家・石坂まさをのシニカルな視線で覗いた「虚飾の街・東京」がここにあります。
石坂まさをが知る東京という街
石坂まさをは東京都新宿区出身ですから東京という街を知り尽くしていたはずです。
そんな彼は藤圭子を見出す以前には厳しい修行時代を生きてきました。
自身が成功する前に東京で誰かに裏切られたり、欺かれたりしたのかもしれません。
さまざまな悔し涙をのんだ経験がこのラインを生んだのでしょう。
華やかなネオンの街を剥いでみると、そこには狡猾な人々がうごめいていたのかもしれません。
決して一筋縄ではいかなかった当時の彼の現況が歌詞に垣間見られます。
現代の東京と比べてみる
戦後2回目の東京オリンピックを控えたいまの東京と比べてみるのも興味深いです。
街並みは変わりましたが、東京にはまだアンダーワールドが潜んでいるのではという気がします。
安全性や治安が向上しても、いまなお新聞などのニュース・メディアでは様々な事件が跋扈(ばっこ)。
綺麗なネオンの皮を剥いでみると恐ろしいまでに肥大化した空虚な何者かが息を潜めています。
東京という街の本質は変わりようがないのかもしれません。
成長から取り残された人々の愛唱歌
「女のブルース」がリリースされた時代は1970年、高度経済成長時代です。
東京の街が世界でも有数の都市に成長してゆく過程にありました。
それでもその成長から置いてけぼりにされて、しあわせを享受できなかった人々もいっぱいいたのです。
そうしたどこか幸薄い人々の愛唱歌が藤圭子の「女のブルース」でした。
ペシミズムに徹した人生観
いよいよ最後のラインです。
この4番の歌詞の悲観主義的傾向が作詞家・石坂まさをの本領発揮になります。
何処で生きても 風が吹く
何処で生きても 雨が降る
何処で生きても ひとり花
何処で生きても いつか散る
出典: 女のブルース/作詞:石坂まさを 作曲:猪俣公章
暗く切ないラインが続きます。
愛する男性を慕ってはいても、完璧なしあわせなど決して望めない女性の姿。
風雨に打たれてひとりで生き、いずれはひとりで死んでいくのだと歌うこのライン。
作詞家・石坂まさをの悲観主義的傾向は恐ろしさまで感じさせます。
「女のブルース」が愛された時代背景
東京だろうと別の街であろうとも苦難からは逃れようがないという人生すべてを覆う宿命的な暗さ。
それでもこの曲はミリオン・セラーとなり人々に愛を持って迎えられました。
多くの人が「女のブルース」が醸し出すなにかしらの孤独に感じ入るものがあったのでしょう。
もちろん藤圭子の歌声の圧倒的な訴求力もその一助になったはずです。
しかし歌詞が描く女性像への没入がなければ、ここまでの大ヒットには恵まれなかったでしょう。
暗さ、寂しさ、ひとり孤独であることに共感するチカラが社会にまだ健在だったのだと想われます。