GLAYの衝撃作
「元号」
平成から令和へと変わった2019年5月、GLAYはデビュー25周年を迎えました。
そんな彼らが新しい時代の幕開けにふさわしい楽曲をリリースしたのです。
そのタイトルは「元号」。
あまりにもダイレクトな表現に多くの人々が興味を示しました。
ロックシーンを駆け抜けてきたGLAYが令和に向けて発信したメッセージはとても深く力強いものです。
語りかけるように歌われている歌詞の中には過去の出来事への想いや未来への期待が込められていました。
平成=GLAYが走り抜けた時代
平成の終わりに何故GLAYが「元号」という楽曲をリリースしたのでしょうか。
それは平成という時代はGLAYが走り抜けた時代そのものだからだと思います。
実際に歌詞に登場している時代は昭和の最後から平成に変わった1988年〜1989年。
まさにこの時にGLAYは結成されました。
つまり彼らにとって、平成=GLAYが走り抜けた時代といっても過言ではないのです。
その平成が終わる時、今までの自分達を振り返るような楽曲を発信したかったのではないでしょうか。
時代の流れとGLAYの歴史、両方を感じることができる楽曲こそが「元号」なのです。
昭和、平成、そして令和までの歴史を描いたMV
「元号」のMVには昭和の終わりから平成、そして令和に向かっていく映像が印象的です。
1989年、たった7日間の昭和64年から平成元年へと変わった年から時代のカウントがスタートします。
GLAYの活動の始まりを表しているように感じました。
しかし何故か時代のカウントは1992年で終わります。
それはJIROが加入した年であり、現在のGLAYのメンバーが全員揃った年でもあるのです。
1989年の映像をよく見ると初めはTERUとTAKUROの2人しかいないのが分かります。
そこからHISASHIが加入して3人になり、1992年に今の4人体制が完成しました。
細かい描写ですが、このように彼らの歴史を感じることができるMVになっているのです。
ここからはGLAYが歩んできた歴史を映像に基づいて紹介していきます。
GLAYの歴史
伝説の20万人ライブ
MVの中にも登場するのがGLAYが1999年に開催した『GLAY EXPO '99 SURVIVAL』の映像です。
観客動員数はなんと20万人という凄まじい記録を残しました。
当時の映像を見ると20万人が熱狂している様子がよく分かります。
大型フェスなどではなく、単独アーティストでここまでのお客さんを動員するのは並大抵ではありません。
彼らのカリスマ性がライブ映像からも伝わってきます。
その後も開催している『GLAY EXPO』でも数多くの人々がライブに訪れ、GLAYにパワーを貰っていました。
海外進出
2002年、日中国交正常化の30周年記念ライブが北京で開催されました。
日本のみならず世界からも大絶賛のGLAYが活動を広げた瞬間でもあります。
その時の映像も「元号」のMVの中に出てきました。
北京でも変わらずに愛されているGLAYは、各メディアにも取り上げられています。
メンバーを一目見ようとワクワクするファンの様子も印象的でした。
国内外から支持されているGLAYはどんどん活躍の幅を広げていきます。
しかし全ての活動が順風満帆だったかというとそうでもありません。
彼らも様々なことに悩み苦しみ、それを乗り越えて今を迎えているのです。
「元号」の歌詞にはその苦悩が表現されていました。