映画「Sunny」の背景に「強い気持ち・強い愛」がマッチする!
映画「Sunny」の主題歌は、小沢健二の「強い気持ち・強い愛」です。
この曲は、「Sunny」のために書き下ろされた曲ではありません。
ではなぜこの曲が採用されたのでしょうか?
どうやら映画「Sunny」の背景に関係がありそうです。
この映画の背景から小沢健二の「強い気持ち・強い愛」の歌詞まで詳しく解説します。
また、小沢健二が一大ムーブメントを引き起こした90年代についても説明!
さらに、話題のリリックビデオもチェックしてみましょう!
映画「Sunny」とは?
映画「Sunny」は、2012年に公開された「サニー 永遠の仲間たち」という韓国映画のリメイクです。
たまたま再会した主人公と旧友。
実はこのとき主人公は、末期のガンを患っていました。
主人公が昔「Sunny」と呼ばれたグループの仲間と再会したいとを伝えるところからストーリーがはじまります。
映画の背景は、成長した仲間がそれぞれに悩みを抱える現代と、みんな光り輝いていた学生当時の90年代。
2つの時間軸でストーリーが展開されます。
現代と90年代
90年代から現代までの30年間で、社会を取り巻く環境は大きく変化しました。
現在では隠居生活を送る団塊の世代。
しかし、90年代の頃は現役バリバリで働いており、日本に活気があった時代です。
また、通信機器の進歩は、赤ん坊と大人くらいの違いがあります。
90年代では、携帯もまだ高級品で一般的には普及していません。
その頃の学生たちが、連絡手段としていたのはポケベルでした。
今でこそあまり見かけなくなった公衆電話。
しかし、90年代は公共施設やコンビニには必ずあり、路上にも一定の間隔で設置されています。
若者たちが待ち合わせの連絡をポケベルに送信するため、公衆電話に長蛇の列ができるのも珍しくありません。
さらに映画「Sunny」で使われているポケベルは、あれでも新しいタイプです。
「*2*2」と数字の組み合わせで、なんとカタカナがポケベルに送れるようになったのです。
それまで送られてきた数字を一生懸命解読していたのに、すんなりとカタカナで表示される驚き。
こんなことでも「すごく便利な時代になった!」なんて感じていました。
90年代のオザケンがすごかった!
そんな時代に渋谷系として、一気にスターへの階段を駆け上がったのが小沢健二です。
当時はみな「オザケン」と呼んでいました。
オザケンが小山田圭吾とともに「フリッパーズ・ギター」でデビューしたのが1989年。
有名なところだと「恋とマシンガン」や「カメラ! カメラ! カメラ!」などで、今聴いても古さは感じません。
強敵もものともせずに上位にランクイン
1993年にリリースされた1枚目のシングル「天気読み」から人気は右肩上がりでした。
このころのヒットチャートの常連は、ミスチルやTKファミリーです。
そんな強敵ぞろいのヒットチャートに、オザケンは堂々と肩を並べてランクインしています。
2枚目のアルバム「LIFE」がリリースされるとさらに人気が高くなり、武道館ライブも開催しました。
私は当時、ライブ会場へ機材の搬入や搬出と、ライブでもぎりや警備のバイトを経験しています。
オザケンの武道館ライブでは、もぎりと警備を担当していました。
このライブでアンコールに応えるのは良いのですが、持ち歌が少なく「ラブリー」を3~4回も演奏しています。
ちょっと会場をドン引きさせ、オザケンも少し困った表情でした。
しかし、そんなにも持ち歌が少ないのに、武道館を超満員にしてしまうほどの人気だったのです。
小沢健二は90年代のミュージックシーンの顔でした。
「強い気持ち・強い愛」のリリックビデオ
「Official 魔法的字幕」として、小沢健二のリリックビデオが3曲公開されました。
その3曲のうちの1曲が「強い気持ち・強い愛」です。
彼の独特なセンスがうかがえるリリックビデオをみてみましょう。
無機質なゴシック体が流れていくのがとても印象的です。
なぜリリックビデオなのか?
なぜ「強い気持ち・強い愛」だったのか?
本当のところはわかりません。
しかし、歌声やサウンドよりも文字で強調するところに、とても彼らしさを感じます。
彼がつくる文章を大切にしていることをリスナーに感じてほしかったのでは?
このように感じるのは私だけでしょうか。
事実、小沢健二の作詞をひも解くのは、いつもよりも何倍も大変な作業です。
小沢健二が訴えかける作詞は、同じ読み手であってもそのときの感情によりさまざまな顔を持ちます。
こんな作詞は、彼にしかつくれないといい切っても良いでしょう。
あらためて彼の作詞をみつめると、そんな文才の高さに驚きを隠せません。