会場に足を運べないファンに向けて…ライブ映像を度々公開してきた眩暈SIREN

眩暈SIREN【空気よりも透明な】歌詞を考察!悲しみや憎しみのない優しい時間を君に捧げるには…?の画像

2018年2月2日に公開された「明滅する」を皮切りに、ライブ映像をYoutube上で度々披露してきた眩暈SIREN

「音が孤独を覆うまで」と題されたこの企画は、ライブ会場に足を運べない人たちにももっと近くに音楽があってほしいという願いの元始動されたもの。

CDに収録されたものだと言っても、ライブで披露されたテイクというのは当然それとは別モノです。

同じ楽曲を演奏していても、そのときにしか感じられない空気感というのがライブにはありますよね。

そんなライブの模様をYoutubeにて惜しげもなく公開する彼らの姿に、ファンの支持もさらに高まっていくのが如実に伝わってきていました。

今回公開されたのは自身初のアコースティックバージョン

ただでさえライブ映像というのは特別感のあるものですが、今回紹介するものはさらに特別です。

2018年12月23日、いよいよ年の瀬というこの時期に公開されたのは、11月21日にリリースされたミニアルバム「囚人のジレンマ」に収録された「空気よりも透明な」という楽曲

リリース直後ということもありますが、それ以外にこの映像の何が特別なのかというと、自身初のアコースティックライブの模様を収録したものだということです。

ライブというだけでも特別なのに、アコースティックバージョンとなると正真正銘CDでは聴くことができません。

普段のヘビーな印象とはまた違ったそのサウンドに、ファンも一層興味を惹かれる様子を見せていましたよ!

生音の響きで表現されるそれはより演奏の繊細さを如実に

ライブが行われたのは福岡のキリスト教会館。

音の反響によく耳を澄ませて聴くと、会場の神聖な空気感が画面越しでも伝わってきます。

いつもより優しい音色で奏でられるそれも凛としたイメージで、京寺の歌声にもよく合っていますね。

そしてアコースティックとなると音に隙間ができるので、メンバーの演奏の繊細さもより際立って聴こえ、彼らの機材頼みではない腕前を垣間見ることができました。

生音の響きでこれだけの表現ができるからこそ、いつものサウンドに戻ったときの独自の世界観も成し得るのでしょうね。

独自の世界観と言えば、京寺の書く歌詞も他にはない独特の言葉遣いが耳を引きます。

今回も例のごとく、この楽曲歌詞の内容を読み解いていきましょう!

自分に価値を見出せない主人公

体を打つ雨に少しずつ染まる
流れる粒と共にこのまま消えてくれと
望むなら叶えたい

出典: 空気よりも透明な/作詞:京寺 作曲:ウエノルカ、眩暈SIREN

打ちつける雨の中、傘もささずに立ち尽くしているような印象を受けます。

自分が濡れてしまうこともいとわないこの描写は、自分に対して価値を感じていないことの表れではないでしょうか。

「自分のような価値のない人間は、いっそこの雨と共に消えてしまえばいい」

そんな主人公の投げやりな心情がこの部分では描かれていると感じます。

価値のない自分が周りに気を遣わせてはいけない

何も心配いらないよ
傷付いてない顔するのは得意だ
思って無い事を言うのも
笑顔でいるのも

出典: 空気よりも透明な/作詞:京寺 作曲:ウエノルカ、眩暈SIREN

本当は雨と共に消えてしまいたいぐらい、傷付いている主人公。

しかしここで、平静を装うことには慣れていると彼は言います。

自分のことで周りに気を遣わせてはいけない。

自分には傷付いていることを主張するような価値すらないとでも言うかのようです。

本心を隠すことが自分を追い詰めていた

警戒と警願に振り落とされそうな自意識
知らなかったこの鼓動が続く度
追い詰めていた事

出典: 空気よりも透明な/作詞:京寺 作曲:ウエノルカ、眩暈SIREN

警戒しているのは自分が本心を主張することで周りがどう思うかということに対してでしょう。

警願という言葉は恐らく京寺の造語ではないでしょうか。

言葉のイメージから考えると、本心を知られないようにと必死に願っていることのように感じます。

そしてここで、それらが自分を追い詰めていたことを知らなかったと語る彼。

主人公はそうやって本心を知られないように振る舞うことが、自分を守ることだと思ってきたのでしょう。

しかし吐き出したいものを自分の中だけで押しとどめることが、どんどん自分を窮屈にしていたのです。