カタストロフィは、大災害や破滅的結末を意味します。
生きていく上では、大失敗をして破滅的な結末を招くこともあるでしょう。
人生が終わったと落ち込むかもしれません。
それでも「千両役者」負けていません。まだ次があります。
「業」はカルマや因果応報と暗い意味にとらえがちですが、アルファベットで書くと「GO」です。
どんな大失敗も超えて前へ進もう(GO)というメッセージと受け取りました。
一時の繁栄が終焉を迎えても、次の舞台があります。
次のチャンスに懸けるのです。
次こそ成功するぞという、強い気概で悲劇を乗り越えて生きいこうとしています。
人生は泥仕合の連続かもしれませんが、その先には必ず喜劇が待っていると信じているのです。
相思相愛の意味
一世一代の大舞台
有名無名も関係ない
爽快だけを頂戴
あなたと相思相愛で居たい
出典: 千両役者/作詞:常田大希 作曲:常田大希
相思相愛になりたいあなたとは、誰のことなのでしょうか。
社会で生きる私たち「千両役者」にとって、欲しいのは地位やお金だけではないはずです。
生きてきた証を感じることで得る達成感でしょう。
相思相愛でいたいあなたとは、自分自身ではないでしょうか。
「千両役者」は自分に自信があります。
お金に目がくらんで間違った方向に進んだり、地位や名誉を得るために無意味な戦いを続けたりしません。
そんな自分を愛しているのです。
他にあるとすれば生きてきた社会です。
「千両役者」は一世一代の大舞台である自分の人生を謳歌してきました。
自らの価値観で創造された社会に必要とされ、自らも爽快な達成感を社会に求めたのです。
他人からとやかく言われる筋合いはありません。
何をいわれようと「千両役者」は社会の勝者なのです。
命が消える時を想像する
人生を振り返った時に見えるもの
薪尽きて火の滅する時
駆け巡った走馬灯の
其の眺めは値千金か万金か
此の目には絶景かな
出典: 千両役者/作詞:常田大希 作曲:常田大希
人の命が最期を迎える瞬間、生きてきたすべてが走馬灯のように見えるといいます。
死ぬ瞬間に自分の人生を振り返って価値のあるものだったと満足したいものです。
人生の価値は人によって基準が異なります。お金には代えられません。
それぞれの価値観で「成功」を感じればいいのです。
一世一代の舞台を演じてきた千両役者が、幕が下りる時に客席を見て最高の演技だったと笑う姿が目に浮かびます。
その眺めは、多額のお金を積んでも見られない絶景でしょう。
「絶景かな」と満足する姿。歌舞伎の演目にも登場する石川五右衛門の最期の言葉を思い出します。
命の終わりを感じる時
無意味から眺める意味を
死から眺めた生の躍動
その様まるで
御祭り土砂降り
此の目には絶景かな
出典: 千両役者/作詞:常田大希 作曲:常田大希
人の人生にとやかく口を出す人から見れば「千両役者」の人生は無意味に思えるかもしれません。
人の人生は他人の価値観では測れないもの。
自分が納得できることが何よりも大事です。
命の終わりを実感した時に、生きてきたすべてが肯定できれば問題ありません。
「千両役者」は、死の間際に舞台で踊るように躍動している自分が見えると確信しています。
最高の人生は煌びやかで美しいものです。
後悔なんて意味がない前を向いて生きていく
好き勝手放題の商売
後悔なんて面倒臭いや
青臭い野暮臭い生涯を
ただ生きるための
抗体を頂戴
出典: 千両役者/作詞:常田大希 作曲:常田大希
「千両役者」は、人生を自分の思うがままに生きてきました。
他人から見れば、好き勝手に生きる姿がわがままに映るかもしれません。
未熟者で融通の利かない人間と思われても、夢と目標は決して忘れませんでした。
人生の歩き方に自信もあります。
自分なりにやって来れたから、後悔はしていません。
「千両役者」にとって、後悔して後戻りすることは面倒くさいだけのこと。
これからも、今までと同じように夢を追い続けて生きていくのです。
世の中、依然として厳しく誘惑や堕落だらけです。
そんな時代を生きていくためには、カンフル剤が必要かもしれません。
歌詞に出てくる抗体は、新しいカンフル剤。新しい夢や目標なのでしょう。