テレビドラマ「高校教師」の主題歌で大ヒット!

TBSのテレビドラマ「高校教師」の主題歌「ぼくたちの失敗」

森田童子【ぼくたちの失敗】歌詞の意味を独自解説!失敗って何のこと?「高校教師」を盛り上げた歌詞に迫るの画像

ラストシーンの解釈が話題になったテレビドラマ「高校教師」が放映されていたのは1993年

当然のことながらWindows95もまだ現れず、GUIがようやく動いたWindows3.1の時代です。

インターネットはなく、パソコン通信というクローズドなコミュニティが存在するのみ。

テレビというものがまだ絶大な広告媒体として君臨していた時代です。

TBS系列で放送された「高校教師」は、教師と教え子の恋愛というタブーに挑戦したドラマでした。

高視聴率で推移したドラマは、心中とも逃避行ともわからない形で最終回を迎え、大きな反響を呼びました。

ドラマの人気に比例するように、主題歌森田童子の「ぼくたちの失敗」は90万枚を超えるヒットになりました。

ですが、この曲が生まれたのは1976年

この当時でさえ、23年前の曲がヒットしたことに驚きの声が集まったことは言うまでもありません。

脚光を浴びた「23年前」の曲

春のこもれ陽の中で
君のやさしさに
うもれていたぼくは
弱虫だったんだョネ

出典: ぼくたちの失敗/作詞:森田童子 作曲:森田童子

イントロのピアノの旋律に導かれ、ためらいがちにつぶやくような歌声……

音符の階段をようやく上っていくような頼りなげで儚げな独白は、遠い過去を慈しむかのようです。

物憂げでアンニュイな森田童子の歌声は、なぜヒットし、今もカバー曲として唄い継がれているのか?

時代背景や森田童子について考察しながら、その謎にアプローチしてみます。

芸名「森田童子」の由来

森田童子【ぼくたちの失敗】歌詞の意味を独自解説!失敗って何のこと?「高校教師」を盛り上げた歌詞に迫るの画像

 森田 童子(もりた どうじ、1953年1月15日 - 2018年4月24日)は、日本の女性シンガーソングライター。本名は非公開。芸名は笛吹童子に由来。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/森田童子

森田童子のプロフィールは神秘のベールに包まれています。

残された写真や動画はどれもサングラスをかけたもので、素顔は見せていません。

本名も知れず、エピソードも断片的なものばかりです。

「芸名は笛吹童子に由来」と記されていますが、なぜ、笛吹童子を自分の芸名に選んだのでしょう?

笛吹童子(ふえふきどうじ)は北村寿夫(きたむらひさお)の脚本によるラジオドラマである。NHKの新諸国物語の第2作として1953年(昭和28年)に放送された。 放送期間は1953年1月5日 - 12月31日。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/笛吹童子

生まれた1953年1月15日は、ちょうどこのラジオドラマ「笛吹童子」の放送され始めた時期と符号します。

例えば「生まれた時がちょうど放送時間だった」、「このドラマの登場人物にちなんで名前がつけられた」……

そのような誕生についてのエピソードがあったのかもしれません。

歌うきっかけは「友人の死」

兄は萩丸、弟は菊丸。武芸に秀でた萩丸は敢然と立ち向かうが、弟の菊丸はちがった。「武士なれば戦もしなければならぬ。戦いはいやだ。わたしは武士をすてて面作りになる」と言い残して都に暮らし始める。菊丸は笛の名手である。笛の音で濁りや汚れに満ちた人の心を洗うのであった。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/笛吹童子

ラジオドラマ「笛吹童子」の粗筋の一部です。

戦いを嫌い、笛の音で濁りや汚れに満ちたひとの心を洗おうとする菊丸

この主人公の生きざまに共感し、自分の芸名としたのではないでしょうか。

1970年代はまさに戦いの時代であり、異なる思想や価値観が激しく衝突する時代でした。

前年の1969年には米軍が北爆を開始、ベトナム戦争が激しさを増していました。

1970年には「よど号ハイジャック事件」、「三島由紀夫の割腹自決」と、日本を震撼させる事件が相次ぎます。

全共闘などの学園闘争が吹き荒れる時代に友人が逮捕されたことをきっかけに、1970年に高校を中退。気ままな生活を送っていたが、20歳のとき友人の死をきっかけに歌い始める。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/森田童子