自分にはないもの
死にたくなる理由
俺の解さない価値観を持ってそうで
嗚呼なんか急に死にたくなる
出典: 猿の学生/作詞:山田亮一 作曲:山田亮一
冒頭から一貫して、若者たちとはわかり合えないという姿勢だった語り手。
そこに価値観の違いがあることは明白で、語り手はそれを受け入れていたかのように見えました。
しかしここへきて急に、その価値観の違いに寂しさを覚えたようです。
どうして自分たちより劣った奴らがこんなにも人生を楽しんでいるのだろう。
そんな疑問が突如として寂しさ・虚しさをもたらしました。
散々彼らの考えを馬鹿にしてきたはずなのに…。
それが「自分にはないもの」と思った瞬間に羨ましくなってしまったのかもしれません。
見下していたはずの価値観が急に輝いて見えたことで、語り手は「死にたくなった」のです。
何か辛いこと、耐え難いことがあったときに「死にたい」と感じること。
これはまさに若者らしい感性であり、その意味では語り手も同じ若者なのだといえそうですね。
世代が違えば価値観の違いにももう少し寛容になれたかもしれません。
そうなれないのは、若者たちと自分が同世代だから。
同じ時期に生まれ、同じ時代を生きてきたはずなのに、彼らは自分にはないものを持っている。
だからこそ悔しく、寂しく、虚しいのです。
吉備団子とは
猿の歓迎会 サークルかなんかの
吉備団子ひとつでぐるぐる回る
猿の学生さん
出典: 猿の学生/作詞:山田亮一 作曲:山田亮一
ここで登場する「吉備団子」。桃太郎が動物たちを仲間にするときに手渡した食べ物です。
桃太郎が動物たちに吉備団子を渡した真意はわかりません。
報酬の前払いのようなものかもしれませんし、自分に付き従わせるために恩を売ったとも捉えられます。
少し捻くれた捉え方をすれば、鬼退治という気乗りしないイベントに参加してもらうため、物で釣ったともいえそうですね。
つまり吉備団子は目の前にぶらさがった甘い誘惑。
交換条件として「一緒に鬼退治をする」という危険はあれど、それは想像するしかない曖昧なものです。
つまり将来的にどんな危険が待っていようと、それは想像なので現実味がありません。
故に誰もが目の前の具体的な誘惑である吉備団子に飛びついてしまうのでしょう。
釣られる若者たち
歌詞を見ると、吉備団子はサークル活動の中で登場しているようです。
ここから想像すると、吉備団子とは飲み会のことでしょう。
お酒を飲めることの誘惑に負けて毎日参加していれば、様々な支障が出ます。
お金だってかかりますし、体調だって優れない日が続くはずです。
それは勉学にも影響を及ぼし、単位を落とすことにも繋がるでしょう。
しかし前述したとおり、吉備団子を前にした人々にはその裏に隠されたリスクなど見えません。
何よりも目の前の楽しいことに飛びついてしまうのです。
語り手が呆れた様子で、繁華街にあふれる若者を眺めている様子が想像できますね。
最後にはやっぱり
猿の学生が悪い事をしている
雰囲気の大蛇に呑まれて笑う
猿の学生さん
恋する学生が赤い月を見ている
vividな彼女を捕まえてさ
猿の学生さん
出典: 猿の学生/作詞:山田亮一 作曲:山田亮一
ここでは集団心理の恐ろしさが綴られています。
冷静に考えればわかるはずのことも、集団の中に飛び込んだ瞬間にわからなくなる。
人々の理性を奪い去る空気感を、この楽曲では恐ろしい大蛇に例えました。
もちろんここには、毎日飲み歩くことも含まれているでしょう。
明日の授業には出なければいけない。
明日早起きするために今日は早く帰らなければ。
そんな理性も、「飲みに行こうよ」という周囲の空気感の前では成す術なしです。
吉備団子の効果も相まって、若者は今日もまた夜の街へ繰り出していくのでしょう。
そこには変わらず冷ややかな目で彼らを見つめ続けている語り手がいました。
最後に
言えない気持ちを綴った
この楽曲では「これがダメだ」「あれはおかしい」と具体的に批判しているわけではありません。
しかし共感を示しているわけでもない。ただ変わらず、冷ややかに見つめているだけなのです。
もしかすると語り手は、彼らに対する「羨ましさ」を感じていたのかもしれません。
しかしそれを素直にいうことができない。
だからこそ皮肉という形で彼らへの興味関心を示したのかもしれませんね。