そのような心情は、当時の千昌夫の心や人生と大きく重なっていたことでしょう。
帰りたいと思っても、空を見ながらひとり酒なんてこともあったかもしれません。
そして、この曲を出した次の年に「北国の春」をリリースします。
地道な活動によりじわじわとセールスを伸ばし、やがて大ヒットとなります。
そうなんです。
帰らないという選択を続け努力し続けた結果、勝利を勝ち取ったのです。
このような叩き上げの精神がこの歌詞の根底にはあるのかもしれませんね。
終わりに
少ない言葉数で聞くものを魅了する歌詞
言葉数が少なく行間の多い歌詞は、想像力を掻き立ててくれます。
千昌夫という存在があるからこそイメージが完結する。
歌い手が千昌夫だったから成立する世界観なのかもしれないですね。
カタカナ文字や英語が入っていないのは時代背景を考えれば当然のこと。
しかし、それによって日本語の美しさが際立っているのも確かです。
これから夢に向かって頑張る人は登場人物と自分を重ねてもいい。
叩き上げで成功している人は、貧しく辛かった日々と重ねてもいい。
そんな深みのある歌詞だと感じました。
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【吉幾三/俺ら東京さ行ぐだ】面白いラップ歌詞を紹介!田舎が嫌で東京に出てきた吉幾三の実話だった?! - 音楽メディアOTOKAKE(オトカケ)
吉幾三が1984年に発表してたヒット曲「俺ら東京さ行ぐだ」は日本語ラップの先駆けと言われています。そして驚くことに30年以上たった今でも世代を超えて愛されています。今回はこの曲の面白いラップ歌詞を紹介。彼の地元、青森県北津軽郡金木町の田舎ぶりを自虐的に歌う歌詞が痛快です!
上記のリンクは、吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」を紹介しています。
吉幾三と千昌夫には交流もあるそうです。
同じ東北出身者で、歌詞も東京へ出るという観点では共通のテーマとなります。
それぞれの違いを楽しめるかもしれません。
どうぞご覧ください!
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