THE BOOMについて

【島唄/THE BOOM】宮沢和史の沖縄への想いが深い!改めて聴きたい名曲の歌詞の意味を徹底解釈!の画像

THE BOOMは1986年に結成された4人組バンド

最大のヒット曲である『島唄』の他、『風になりたい』等、幅広い世代に受け入れられている多数の楽曲をリリースしています。

2014年にバンドは解散し、現在ではメンバーがそれぞれソロ活動を行っています。

『島唄』楽曲情報

リリース

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『島唄』はいくつかのバージョンがあります。

「ウチナーグチ・ヴァージョン」として最初にリリースされたのは1992年12月12日。

このウチナーグチ・ヴァージョンは沖縄だけの限定発売だったのですが、大河ドラマなどに起用されたこともあり人気が広がっていきます。

その後6月に『島唄(オリジナル・ヴァージョン)』を全国リリース。150万枚を超える大ヒットを記録することになりました。

『島唄』リリースにあたっての宮沢の苦悩

実は『島唄』はある一人のおばあさんに聴いてもらうために作られたと言われています。

そのおばあさんとは、アメリカ軍との沖縄地上戦の際にひめゆり学徒隊だった方で、奇跡的に生き延びることのできた一人です。

沖縄音楽に魅了されていたボーカルの宮本が1991年に初めて「ひめゆり平和記念資料館」を訪れた際、沖縄戦を生き延びた実体験を話してくれたおばあさんだそう。

資料館はまるで自然洞窟(ガマ)のようなつくりになっており、このガマは防空壕でもあり、集団自決の場でもあったといいます。

資料館の外に広がる現代の穏やかな風景と、そのガマの対比に涙が止まらなかったと後に宮沢が語っています。

当初、沖縄出身ではない宮本は自分がこの曲をリリースすることにためらいがあったそうですが、沖縄出身の音楽家でもあり、かつて政治家でもあった喜納昌吉に背中を押され、リリースを決意します。

『島唄』歌詞

1945年4月からの3ヶ月に何が起こったのか?

でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た

でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た
くり返す悲しみは 島渡る波のよう

ウージの森であなたと出会い
ウージの下で千代にさよなら

出典: 島唄/作詞:宮沢和史 作曲:宮沢和史

島にでいごの花が咲き始めた1945年の春にアメリカ軍による沖縄上陸作戦が開始され、武器を持たない民間人への殺戮が始まった。

でいごの花が咲き乱れた初夏になっても、非道な方法で次々と抵抗のできない人々の命を奪っていく。

抗うことのできない人々が次々と犠牲になり、亡骸が崩れ落ちるさまは波のように島中に広がっていく。

さとうきび畑であなたと出会い、さとうきび畑の防空壕であなたと永遠の別れとなった。

当時、アメリカ軍に抗うことのできない武器を持たない民間人の多くは自らの命を絶つことを選んだのです。

さとうきび畑で出会った二人は自決への道を選んだと歌っています。

でいごの花は咲き乱れると良くないことが起こるとされており、この場合はアメリカ軍の隠喩となっています。

不吉とされるでいごの花ですが、現在は沖縄の県花ともなっており県民が愛している花ということがわかります。

戦争という非日常の中においても、でいごの花は美しく咲いていたのでしょう。

しかしその美しい花が、言い伝え通りに悲劇を運んできてしまったのです。

でいごの美しさは悲劇と同時にひめゆり学徒隊の少女隊を示しているように感じます。

ひめゆり学徒隊は看護訓練を受けた少女たちで、戦争の最前線を補佐する部隊だったといっても過言ではありません。

そして、歌詞の中のでいごは普通に咲いていたのではありません。

咲き乱れたでいごの花

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でいごが咲き乱れ

出典: 島唄/作詞:宮沢和史 作曲:宮沢和史

悲劇は並大抵のものではなく、想像を絶するものだったのです。

生き残ったおばあさんがいうように、本土の「捨て石」となった沖縄…。

そこでは尽きることのない死が繰り返されていたのでしょう。

さとうきび畑は戦争前の沖縄の平和を象徴するものではないでしょうか。

暖かくのんびりとした風を感じる場所です。

しかし、日常の幸せはあっという間に戦争に壊されてしまいました。

何を思い何を願って死んでいったのか、平和な時代に生きる私達には到底想像できません。

しかし、この歌詞を聴くと胸が締め付けられるのではないでしょうか。

犠牲者 数十万人の鎮魂歌

沖縄の想いを本土へ届けて欲しい