1行目の文脈から、今はそばにいて支えてあげらえる状況ではないことが考えられます。

物理的に離れた距離にいたり、もうそんなに近しい関係性ではないのかもしれません。

この辺りは『つるかめ助産院~南の島から~』に集う訳ありの人々を見守っているようでもあります。

実際に会って何かするのではなくとも、そこで奮闘する人々を見守りながら応援したくなるドラマの世界観。

それに近いものがあると思いませんか。

そして主人公の気持ちとドラマを通して、私たち自身にも当てはめることができますね。

その人の生き方や人生そのものを陰から支えることが主人公にとっても喜びなのです。

歌詞に出てくる「キミ」は大切な人のことを指しているのでしょう。

別れた恋人だったり、友達だったり、子供だったり…。

あらゆる関係性の中でこの主人公のような気持ちを私たちも感じることができるのではないでしょうか。

ずっと寄り添う僕がカゲボウシ

長い道だから 忘れないで
越えたとき 見えるその景色を
一つずつ ちゃんと 心へ刻む
それこそが 生きる証

出典: カゲボウシ/作詞:岡野昭仁 作曲:岡野昭仁

1、2行目から、主人公自身も何かを求めて走り続けてきた経験があることがわかります。

これはまさにこれまでのポルノグラフィティや岡野昭仁さんという人の経験からでしょう。

“夢へと続く、長く険しい道でも必ずたどり着くことができる。”

そして“その時初めて見ることのできる景色があるのだ”、と伝えてくれていますね。

さらに3、4行目では“その過程もしっかりと覚えておいて欲しい。”

そんなメッセージが込められているのではないでしょうか。

人生なんて…。と嘆くこともあると思います。

しかしそうやって毎日を夢に向かって生きていくことこそが、私たちが人生を生きるということなのです。

間違うことを恐れないで

例えば間違って後戻りをしても
決して無駄にはならない 自信を持って

出典: カゲボウシ/作詞:岡野昭仁 作曲:岡野昭仁

何をするのも必ず初めてがあります。初めてだから間違うことだって当たり前。

その間違いのせいで成功までの道のりが少しくらい遠ざかったとしても、いいのです。

前述の歌詞にもあったように、そういうひとつひとつの過程も成功へのピースだから。

そう考えると2行目の意味も納得です。

私たちの人生に、無駄なことなんてひとつもないのです。

こう思えると、前に進む足取りが軽くなると思いませんか?

まるで私たちの「カゲボウシ」がその重みを背負ってくれているかのようです。

時には休むことも必要だから

泣きたくなったら ここへおいで 僕が全てを受け止めるから
張り詰めてる 心の糸を 少し緩ませたらいい

出典: カゲボウシ/作詞:岡野昭仁 作曲:岡野昭仁

どれだけ前向きに歩みを進めていても、人は誰しも壁にぶち当たったり、石ころに躓きます。

そして立ち止まり、これでよかったのかと不安に襲われることもあるでしょう。

道に迷って進むべき方向がわからなくなってしまうこともあるでしょう。

主人公は「キミ」がそうなることも想定済み。そしてそんな時こそ自分に頼って欲しいと思っています。

ピーンと張り続けている私たちの心の糸は簡単に切れてしまうもの。

だからこそ辛い時はその感情さえ吐き出して、心をリラックスさせる必要があるのです。

夢に向かうこと、そしてそれを叶えることがどれだけ茨の道であるかを楽曲を通して教えてくれています。

これからもずっと支えていきたい

会いたくなったら 思い出して 僕はずっとキミのカゲボウシ
駆け抜けて 心のままに どこまでも寄り添うから
嬉しくなったよ キミが居るから 僕の未来も微笑みばかり
ありがとう ここは僕らの 世界で一つだけの場所

出典: カゲボウシ/作詞:岡野昭仁 作曲:岡野昭仁

Aメロのサビと同じフレーズで綴られているこちらの歌詞

違うのは最後の1行ですね。

Aメロでは、主人公の胸の中には「キミ」のために「カゲボウシ」として支えることが喜びだとありました。

こちらでは、いつも傍にいる「カゲボウシ」が自分たちの唯一無二な場所だといっています。

この意味はきっと、主人公にとっても居心地が良いだけでなく、幸せそのものということ。

「カゲボウシ」として「キミ」を支えていけることが何よりの幸せなのです。

そしてこれからもずっとこうして後ろから支えていきたいという気持ちも伝わってきますね。

夢の扉は開いている

さあ行こう 扉 開いて待ってる
夢はもう すぐそこだよ

出典: カゲボウシ/作詞:岡野昭仁 作曲:岡野昭仁