X JAPANの失われたベーシスト、TAIJI
音楽ドキュメンタリー映画として大ヒットを記録した『WE ARE X』のBlu-ray/DVDの発売や、紅白歌合戦への出場など何かと話題の絶えないX JAPAN。
1989年にデビューし(当時はX、1992年にX JAPANへ改名)、1997年に一度解散、そして2007年に再結成を果たし現在へと至っています。
その長い年月の間、かなりいろいろな、波乱万丈ともいえる歴史をバンドは刻んできました。
YOSHIKIが長年抱え続ける健康問題や、Toshiの洗脳疑惑、そしてメンバーの死……。
X JAPANは、ギタリストのHIDEとベーシストのTAIJIを不幸な形で失っています。
ここでは2011年にサイパンで不審な形で死を遂げたTAIJIについて、お届けします。
TAIJIのプロフィールを紹介
実はギターも凄腕!
TAIJIがX JAPANに在籍していたのは、1986年から1991年まで。(TAIJIの在籍時のバンド名はXですが、以下現在のバンド名X JAPANに統一します。)
メジャーデビュー前から在籍していたわけですが、YOSHIKIに熱心に誘われて加入することになったといわれています。
驚くのは、TAIJIがベースを始めたのはこの1年前。それまでTAIJIは、ギタリストとして活動していました。
ギターを始めたのは彼が小学校2年生の時。初めて人前でギターを披露したのは小学校のクラス会で演奏した映画「禁じられた遊び」のテーマソングだったそうです。
しかもこの時ギターを始めてから3ヶ月。それでクラシックギターの名曲を弾きこなすとはさすがですね。
高校生のころにはエレクトリックギターを手にし、そこからロックに傾倒していきました。
Deep Purpleや IRON MAIDEN、KISSなどロックギターを志す者ならだれでも通る洋楽のコピーをし、その腕に磨きをかけていったようです。
その後、将来的に彼のギターの腕は、HIDEが「難しくて弾けない」というほど、そしてLOUDNESSの凄腕ギタリスト、高崎晃をも唸らせるほどになります。
ベーシストに転向してからもそのギタリストとしての経験を活かし、速弾きはもちろん、ライトハンド奏法などを取り入れた個性的でテクニカルなプレイを披露しています。
1991年にX JAPANを脱退してからは1992年にLOUDNESSに加入するも、諸事情によって翌年に脱退。
その後自身のバンドDirty Trash Roadを結成し活動を始めますが、1996年に活動休止してしまいます。
HIDEの葬儀で目にしたTAIJIの姿は……
経済的に困窮するようになったTAIJIは離婚し、倉庫などで寝泊りを繰り返すホームレスのような生活を続けるようになります。
そんな状態の中、1998年のHIDEの葬儀に駆け付けたTAIJIの変わり果てた姿に驚いたYOSHIKIは、折れていたTAIJIの歯の治療費という名目で200万を渡したといいます。
HIDEの葬儀で再会した友人たちの支援もあり、音楽活動を再開。
しかし、2005年、事故により大怪我を負い、一時的に音楽活動ができない状態となりましたが、翌年にはまた再始動します。
アクセサリーブランドを立ち上げるなど積極的に活動していましたが、持病のてんかんや脳梗塞が悪化、また足の緊急手術を行うなど、健康問題に悩まされるようになります。
それでも2009年にはThe Killing Red Addictionを結成したり、翌年にはTAIJI with HEAVEN'Sを始動させるなど音楽への情熱は尽きないように思えました。
また2010年は約18年ぶりにX JAPANのツアー”X JAPAN WORLD TOUR Live in YOKOHAMA 超強行突破 七転八起 〜世界に向かって〜”に参戦。
2日間とも、かつての仲間たちと名曲”X"を演奏し、ファンを狂喜乱舞させました。
この翌年の2011年の7月に、TAIJIは急逝してしまいます。
YOSHIKIが前述のライヴ後に口にした「またTAIJIとやることがあるかもしれない」という言葉は永遠に実現しないことになってしまいました。
努力家だったTAIJI
少々やんちゃなエピソードが多いTAIJIですが、彼の根本はとても努力家です。
彼は子供の時の事故で指を失っていることをご存知でしょうか。
2歳の時、親が経営する工場の機械に手を突っ込み、右手中指の第一関節から上を切断した。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%A2%E7%94%B0%E6%B3%B0%E5%8F%B8
ベーシストとして重要な指を失っているにも関わらず、彼は全くハンデを感じさせません。
それどころか、TAIJI独特のスタイルで現在もファンを魅了しているのです。
この不屈の精神が幾度となく襲い来る窮地を払いのけたのでしょう。
運命に放浪されながらも、強く生きたTAIJIは数々の名曲を残しています。
HIDEとTAIJIの友情が名曲を生んでいた

1998年にこの世を去ったHIDEの死因も「自殺」「事故死」と様々に囁かれています。
TAIJIはメンバー内で、HIDEとは最も仲がよく彼の死に大きなショックを受けていたことは間違いありません。
X JAPANの代表曲のひとつともいえる「紅」をTAIJIとHIDEがアレンジし大ヒットさせたというエピソードはあまりにも有名です。
困窮する中、HIDEの葬儀へ足を運んだ背景にも2人の固い友情が見て取れるのではないでしょうか。
HIDEの突然死に彼は何を思っていたのでしょう…。
もしかしたら自身の死の直前、HIDEのことを思い浮かべたのかもしれません。