⑤
どぶねずみみたいに優しくなれた
俯くしかない人生にも慣れた
自分以外の誰かになれば
誰に股ひらけば
汚した 下着を履き替えた
あと10階から落下
あの子は中庭に消えた
ひたすらに蒼かった あの夏が冷えた
満ちては引き 繰り返す意味
終わりは始まり 零時 12時
出典: オーライオーライ/作詞:呂布カルマ 作曲:呂布カルマ
④からの流れを引き継ぎ、より個人の心情に迫るようなバースが続きます。
まるで自身が、もしくは誰かが、そうであり、それを一緒に体験していたかのような感覚に襲われるような真に迫る言葉です。
⑥――最終フックを挟む終末部――
ここが天国だなんで
それじゃまるで地獄みたいじゃないか
クソったれもアーティストも一緒くたなら
クソも芸術もおんなじだな
出典: オーライオーライ/作詞:呂布カルマ 作曲:呂布カルマ
すれ違う瞬間に何か見た
神様と目が合って理解した
全部分かった
出典: オーライオーライ/作詞:呂布カルマ 作曲:呂布カルマ
終末部には三つのパートが存在します。
まず全体で二回目のフックでは呂布カルマの語る悲劇的な物事を強調するような効果をもって、その印象的なフックが繰り返されます。
そして、前述の二つのパートが順番にやってきます。
繰り返される二回のフックを含む前半と後半では、自家撞着を起こしていることに対する言及なのだということもできましょう。
前半部分では、いわゆるヒップホップの多くのラッパーが歌う脚色に対する批判を行いつつも、後半部分ではあくまで自分の言葉として、悲劇を語っています。
そこで出た言葉である「クソも芸術もおんなじだな」という言葉は印象的な響きをもって聞こえてきます。
その繰り返しの後、最後につぶやくように発せられる「全部分かった」という言葉があります。
そこにはやや虚無的な余韻を残しながらも、「芸術」とは何か、という問いを、あるいはその人にとっての音楽とは何かという疑問を想起させる言葉として締めくくられます。
あるいは、「わからない」という素直な実感も、「わかるはずがない」という反論ももちろん想定されることでしょう。
そんな共感と反問を含む広がりをもっているからこそ、「オーライオーライ」は魅力的で聞き飽きぬ名曲となっているのではないでしょうか。
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