小沢健二とは
渋谷の王子様
現役合格した早稲田大学には入学せず、一浪して東京大学に入学したという秀才で、1989年の大学在学中からアマチュアバンド「ロリポップ・ソニック」で活動し、プロデビューを果たすと同時に「フリッパーズ・ギター」に改名しました。
フリッパーズギターは1991年に解散し、小沢健二はソロで音楽活動をはじめ、1994年にアルバム『LIFE』が大ヒットしました。
父親の仕事の都合でドイツで暮らしたことがあり、知的さやファッションが支持され「渋谷の王子様」としょうされるまでの人気を博し、1995年と1996年にの2連続でNHK紅白歌合戦に出場しています。
華々しい家族構成
父方の小澤家には文化人が複数いて、父はドイツ文学者の小澤俊夫、叔父には指揮者の小澤征爾がいます。小沢健二の音楽の才能は文化勲章を受章したこともある小澤征爾から来ているのかもしれません。
母方の下河辺家からは経済人が多く出ています。
小沢健二はアメリカの写真家エリザベスコールと2009年に結婚し二人の子どもがいるそうです。
ヒット曲と活動休止、再開まで
スチャダラパーと共演
1994年3月にラップユニット「スチャダラパー」とコラボしリリースした『今夜はブギー・バック」が大ヒットし、小沢健二とスチャダラパーともに有名になりました。
ヒット曲「ラブリー」「カローラⅡにのって」
当時シャンプーのCMで流れた「ラブリー」はタイアップがついたのでアルバム『LIFE』からシングルカットされた曲です。
この曲は現在でもスズキラパン(自動車)のCMソングとしてカバーされています。
1994年からCMタイアップ曲「カローラⅡにのって」がオンエアされましたが、当時は全国の販売店で発売する予定はありませんでした。しかしCMが人気になったため、市販に踏み切り小沢健二自身で最高の売り上げを記録しました。
活動休止と再開
1998年にシングル「春にして君を想う」をリリースしたあと、国内での音楽活動を休止し、渡米しました。
この時のことを小沢健二はテレビのインタビューで「アメリカのブルースや文学が好きで、子供のころから単純に住みたいと思っていた」と話しています。
しばしの沈黙を経てニューヨークで録音したアルバム「Eclectic」を2002年に発表、音楽活動を再開しました。
R&BやAORに傾倒した音作りに注目があつまり、2006年にはエレクトロニカテイストの作品「Ecology Of Everyday Life 毎日の環境学」をリリースしました。
全国ツアー「魔法的 Gターr ベasス Dラms キーeyズ」の全貌
ライブハウスを中心に全国14公演
「魔法的 Gターr ベasス Dラms キーeyズ」は2016年5月25日のZepp Tokyoをかわきりに、愛知、大阪、広島、北海道をめぐり、6月27日の福岡サンパレスで幕を閉じました。
タイトルから連想されるギター、ベース、ドラム、キーボードというバンドメンバーは以下のように、小沢健二から紹介されました。
タイトルには入っていませんが、その他パーカッションに及川浩志、アナログ楽器HALCAも参加しています。