1000年後の世界はどんな景色だろう
背骨をなくした 大きな機械が
美しく 都市を跨いでいく
屋台は崩れ 照明が落ちる
観客は 白い眼
出典: 迷える羊/作詞:米津玄師 作曲:米津玄師
1000年後の未来は、一体どんな世界なのでしょうか。
現在のスピードで科学技術が発達を続ければ、今からは想像もつかない近未来的な世界となることでしょう。
大勢が夢見た空を飛ぶ車やマシーンも、当たり前のものとして存在しているかもしれません。
けれどその中でも、人の本質は良くも悪くも変わっていないのかも。
己の人生の物語を紡ぐ、という自覚の中で生きる人は、今と同じように少ない可能性だって大いにあります。
主役の存在しない演劇の舞台は、きっとただ崩れ朽ち果てていくのみ。
人を取り巻く環境が機械的で無機質になるほどに、人の人生ももしかしたら同じようになるのかもしれません。
羊は一体何の象徴?
列なす様に 演劇は続く
今も新たに 羊は迷う
堪うる限りに 歌を歌おう
フィルムは回り続けている
出典: 迷える羊/作詞:米津玄師 作曲:米津玄師
それでも、その世界にはきっと大勢の人が生きています。
彼らの物語は先述の通り、舞台の主役がいなくとも粛々と続いていくのです。
本作のテーマともなっている『迷える羊』は、元は聖書を由来とする言葉ですね。
神であるイエス・キリストが様々な不幸や葛藤から救い上げ、救済する存在。
それが『迷える羊』の由来ともなっています。
自分の物語を自身の手で動かせていない、という人々は、さながらこの『迷える羊』ということでしょう。
西暦というのは、イエス・キリストが生まれた年からの数えの年数です。
つまり今から約2000年前も、今と同じように羊のように彷徨う人々は数多くいた、ということですね。
ということはきっと、1000年後も同じように人々が様々な形で迷い続ける事は変わらないのでしょう。
1000年後も大勢の人間の1人ひとりの物語が、何もせずとも回っていく事と同じように。
1000年後の人々も、喜び、悲しみ、怒りを感じる
「君の持つ寂しさが 遥かな時を超え
誰かを救うその日を 待っているよ ずっと」
出典: 迷える羊/作詞:米津玄師 作曲:米津玄師
1000年後の人々が、何に喜び、何に悲しみ、何に怒るのか。それは私たちには分かりません。
ですが喜び、悲しみ、怒りといった感情を覚える事は、今の私たちと全く同じなのです。
1000年前の人々が感じた喜び、悲しみ、怒りの感情。
それらは様々な物語という形で、現代にもたくさん残されていることと思います。
その昔の人々の感情が私たちの心を揺さぶり、感動を与えてくれることもきっと多いはず。
それと同じように、もしかしたら1000年後に生きる人々も。
今まさに生きている私たちの感情の物語に、きっと心を揺さぶられるのでしょう。
私達の喜びに時に勇気づけられ、私達の悲しみや寂しさに心を支えられる。
そんな未来がもしかしたら、1000年後にはあるのかもしれませんよ。
最後に
いかがでしたか?本日は米津玄師『迷える羊』の歌詞をご紹介致しました。
過去、現在、そして未来。
私達が想像もつかない遠い時代の先でも、きっと人間の本質は何一つ変わらない。
その中で、今現在の自分自身はどのように生きるべきなのか。
そんな壮大な問いかけを孕んだメッセージソングであることが、お分かり頂けたのではないかと思います。
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