何にもなれなかった、どこにも行けなかった自分の行く先は深い夜の果てなのです。
即席の愛で満たしたり、アルコールに頼ったり、無になることの繰り返し。
それでも結局、何が変化したというわけではないのでしょう。
歌詞4行目の表現からも、どうすることも出来ない伽藍洞な心の様子が読み取れます。
過去とは、これまでに自分が見てきた周りの状況であり、主人公はそれが負に包まれているのです。
それしか振り返ることができない主人公にとって、明るい未来を望むことすら無意味。
「僕たち」と複数形で表現されている部分にも注目です。
自分だけではないという半ば強制的に思い込ませているようにも感じられます。
そして、私たちが共感の情を移してしまうのもこの表現がなされているからなのかもしれません。
あの日はたしかに
それでもここにいた
遠慮気味の太陽が
何もかも綺麗に焼き払う
そんな街に僕はいた
この街で生きていた
出典: 夜行バスにて/作詞:花譜 作曲:花譜
歌詞1行目からは、夏前、あるいは秋先の季節感を感じられます。
自分の心情が行動が、全て痛みに変化するような毎日だといっているのです。
何をやっても上手くいかないし、どう生きていけばいいかも分からない日々。
しかし、その状況下でも、ひたすらに生を全うしてきたのは事実です。
大嫌いとさえ感じる故郷と、恨むほどに悲痛な環境の中で、這いつくばって生きてきた。
主人公の強さや覚悟が感じられる歌詞です。
ですが、注目すべきは「いた」という風に過去形で描かれている点。
ここから2通りの解釈が出来ます。
1つは、MVの終盤に、棺桶の描写も見られていること。
もう現時点では主人公はこの世界にはいないのかもしれないという解釈です。
そしてもう1つは、故郷で我慢強く生きていた自分を回顧しているということ。
どちらにせよ、当時の主人公は、そうせざるを得なかったのでしょう。
変容
五分も歩けば田舎になって
蛙がいつも待っている
その先の僕の家は今では
ここからはもう見えない
出典: 夜行バスにて/作詞:花譜 作曲:花譜
自分の住んでいた家が見えないという表現がされているフレーズ。
ここも複数の読み取り方が出来ると思います。
- 時が移り変わり、物理的に家そのものが消滅している
- 嫌悪感のあまり、見えているけれど、見えていないものとしている
数年ぶりに家をみることも出来ず、自分も故郷もあの日のままではないことを実感しているのでしょう。
私たちも自身の故郷を顧みてしまいたくなるような歌詞です。
変わることが悪いわけではありません。
しかしながら、やはりどこか悲しんだり儚くなったりせずにはいられないのです。
複雑な想いのままで
永遠なんてものはない
ハエがまとわりついて
駄菓子屋はいつか潰れて
昔通りに生きていけると
思っていたら大違いだ
出典: 夜行バスにて/作詞:花譜 作曲:花譜
いつまでもあの日々が続くわけではないといっています。
それは良い方向にも悪い方向にも捉えられます。
自分自身にも、そして聴き手である私たちに対しても警鐘を鳴らしている主人公。
過去が辛かった人は、絶対にその日々が永遠と続くわけないという熱いメッセージに捉えられるのではないでしょうか。
そして逆に、円満な過去を送れていた人は、この先の未来に対して一呼吸つくことが出来るのだと感じます。
さらに、人間だけではなく、故郷などの環境にも通ずることであります。
いつかこの故郷も無くなってしまう時が来るのでしょう。
過ぎ去っていく
ラブホ街を抜けた先で
姉の迎えを待っている
そんな街に僕はいた
この街で生きていた
この街に僕はいた
出典: 夜行バスにて/作詞:花譜 作曲:花譜
姉も同様に、夜に潜り込み、欲求のままに行動している様子が想起出来ます。
それもまた、主人公にとっては良い思い出とは言い難いのだろうと解釈します。
直後に「そんな」と続いている点からも、故郷に対する想いがネガティブであることは間違いありません。
1番のサビにも同様の表現がなされていましたが、主人公はそれでも進み続けていくのです。
望んでいない現状でも、計り知れないほどの辛い過去があったとしても、歩みを止めない。
あの日々を必死になりながらでも、生き抜いてきた自分を複雑な感情で振り返っている楽曲。
ネガティブな想いと、少しのポジティブ感情が混ざり合った心情です。
風化していく故郷を横目に、儚さと切なさを内包しながら、また明日を生きていくのでしょう。