有機酸=神山羊

神山羊【青い棘】歌詞の意味を徹底解釈!こんなくだらない暮らしを許せないの!!一体、どんな暮らし?の画像

2014年、有機酸という名でネット上に現れたボカロP

その有機酸がシンガーソングライターとして活動する際の名前が「神山羊」です。

ボカロであれ生身の声であれその楽曲の魅力は衰えません。

「青い棘」は2019年2月13日にYouTubeに投稿された楽曲

神山羊のデビュー曲である「YELLOW」と共に彼の1stミニアルバムに収録されています。

そのミニアルバムの名前は「しあわせなおとな」

平仮名で表記されているからか童話のタイトルのように思えます。

色がキーワード

神山羊【青い棘】歌詞の意味を徹底解釈!こんなくだらない暮らしを許せないの!!一体、どんな暮らし?の画像

1作目として登場した曲が3分間の「YELLOW」

次にネット上に投稿された曲が4分間の「青い棘」

時間もどちらの名前に含まれる色も関連性を感じてしまいます。

日本語の「青」のイメージというとクール、寒さ、悲しさ。

明るいよりは暗いイメージの方が強いかと思います。

この曲は切ない失恋ソング

一定のテンポで一定の調子で動いていく音楽。

その淡々としたメロディが逆にもう戻ることはないのだと感じさせます。

くだらない暮らしとは、青い棘とは。

歌詞を通じて紐解いていきましょう。

知りたいと思うけれど

神山羊【青い棘】歌詞の意味を徹底解釈!こんなくだらない暮らしを許せないの!!一体、どんな暮らし?の画像

昨日そこの本屋で
君が好きだったあの本を
読めもしないのに買ったんだ
痛いよなあ、馬鹿みたいだなあ

出典: 青い棘/作詞:Yoh Kamiyama 作曲:Yoh Kamiyama

本にはたくさんの種類があります。

ミステリー、ロマンス、哲学、天文学、化学……。

好むものもあれば苦手なものもあるでしょう。

しかし自分が普段読むことのないジャンルに手を伸ばす。

それにはそれ相応の理由があります。

例えば誰かの好きなものであったり。

読書は能動的な行為

映画ドラマアニメに音楽。

これらの共通点は他の人と共有しやすいことです。

興味がなかったジャンルだとしても誰かと一緒に見れば楽しいもの。

笑いあって驚きあって泣きあって。

そこには1人では感じることのできない思いがあります。

しかし、本は違います。

本との対話は基本的に本とだけ行います。

1人で本の世界に埋没していく。

それが本の楽しみ方です。

後で感想を言い合うことはできますが、一緒に読むという形の共有には向きません。

本のもう1つの特徴として読書は能動的な行いだということ。

1度再生されれば終了するまで流れていく映像。

興味がなくとも勝手に流れていくため物語を楽しむことは容易です。

それとは異なり本は自らの手でページをめくっていく必要があります

勝手にページがめくれはしません。

だからこそ買ったところで「読めはしない」事態が起きます。

興味が持てないと中々読み進めることは難しいのです。

過去のこと

それでも大切な人のことを知りたくて相手が好きなものに手を伸ばす。

とてもかわいらしい感情ですしほほえましさを感じます。

しかし、本屋で買った本は君が好き「な」本ではなく好き「だった」本

過去形になっています。

これは「君」がもう近くにはいないということ。

もうそばにいない人を想って、思わず相手が好きだった本に手を伸ばす。

そこから感じるものはほほえましさではなく、物悲しさ。

未練がましいこの行為は痛々しくもあり。

自身を笑う、主人公の姿が頭に浮かんできます。

嘘は本当を隠す

神山羊【青い棘】歌詞の意味を徹底解釈!こんなくだらない暮らしを許せないの!!一体、どんな暮らし?の画像

人は、嘘をつきます。

自分のため、人のためと理由は様々。

まったくうそをつかず生活することはまず不可能です。

しかし積み重ねすぎた嘘は時として。

自分ですら騙すのです。

優しさが隠した言葉

優しさで目が眩んで
本当の事が言えなくなって
気付けばそんなに苦しくもなくなって

出典: 青い棘/作詞:Yoh Kamiyama 作曲:Yoh Kamiyama

優しい人とはどのような人をいうのでしょうか。

困っている人を放っておけない人?

気配りが上手な人?

それも確かでしょう。

しかし言葉を飲み込む、そういった面も持っているのでないでしょうか。

生活している中不満、愚痴、悪意色々と思い浮かぶでしょう。

それを全て言葉にしていたらギスギスした世の中になってしまいます。

穏やかな関係でいるためにも本音を隠してしまう

それにしても主人公はどんな言葉を飲み込んだのでしょう。

離れていく誰かを押しとどめようとする声でしょうか。

今も忘れることができない誰かへの想いかもしれません。

声に出すことのできなかった言葉は積み重なって心を圧迫させます。

しかし人は慣れていく生き物。

苦しさにも慣れてそれが「日常」になっていきます。

慣れは感覚を麻痺させ、苦しさも忘れさせていくのでしょう。

しかし痛みはふとした時に顔を出すもの。

「慣れ」は「慣れ」でしかなく。

傷を癒すものではありません。