青春の忘れもの
ノスタルジーに浸る自由や権利
海辺には名も知らぬ 花が咲いてた
あの頃の私に 戻れるのなら
いとおしい人への 大事な気持ちを
もっとうまく 伝えたかった
出典: ノスタルジア/作詞:竹内まりや 作曲:竹内まりや
丘から見えたのは海岸だったのでしょうか。
あるいは丘から下って海岸で風を感じているのかもしれません。
花の存在に気付いたという描写でリスナーの意識の中に彩りを加えます。
誰も時間の流れを巻き戻すことはできません。
さらに私とあなたが一緒にこの場所にきたのは随分昔だと思われます。
いまのままの自分であのときの私に戻れるのならば丁寧に愛を伝えられただろうと嘆くのです。
もちろんこうした想像には何の生産性もないでしょう。
しかしノスタルジーに浸る自由は誰にだってあるのです。
実を結ばなかった恋への執着はこの先も不完全燃焼のままで終わるでしょう。
それならばもっと現実の男性に目を向けた方がいいと多くの人が思うかもしれません。
しかし私ほどではなくても伝えられなかった思いというものに拘泥する機会は誰にでもあります。
自分の中で死にもしていない思いですから取り扱いが厄介なのです。
私にとって初恋は現在進行形で続いています。
あなたとの思い出を残した場所に週末ふらりと立ち寄るくらいですから相当な愛です。
一方通行の片想いというものは自分ひとりだけでいつまでも続けられます。
青春期に置き去りにしたままの自分の恋心というものをまだまだ大事にしている私でした。
あの頃の恋心を救済できたなら
閉ざされた 記憶の扉から
現れる 意地悪なあなた
どんな女性のそばで 今頃
幸せに暮らしてるの
出典: ノスタルジア/作詞:竹内まりや 作曲:竹内まりや
普段、日常生活を円滑に過ごすために私はあなたの記憶を封印しているのかもしれません。
しかし初恋の記憶というものはそこに込めた心のエネルギーが強すぎます。
そのために必ず人の深層心理の中で生き続けてしまうのです。
私たちだってある朝の夢に初恋の人が突如現れることがあります。
夢は理性で封じ込めている記憶でさえも勝手に掘り起こして再生してしまうのです。
だからこそ夢などに現れたであろうあなたのことを私は意地悪だと表現します。
普段は平静を装って社会人としてバリバリと働いているのが私の実情かもしれません。
そんな私を突如、強力な力で「ノスタルジア」に引き戻すあなたが憎いです。
いまのあなたはもう家庭を築いているかもしれません。
いいパートナーに恵まれて、子どもだっている可能性があります。
また、あなたが独り身であったとしても、私との交際を考えるかどうかは未知数でしょう。
さらにいえばいまの私とあなたが付き合うことになっても、壊れた初恋と恋心は救済されません。
私は休日にひとり思い出の土地であなたのことを考え続けます。
いまのあなたにも想像の羽根は広がるのです。
しかし私が本当にこだわり続けているのは過去のあなたのことでしょう。
あなたのことというよりも、その人に寄せた自分の恋心というものに救いを与えたいと苦しんでいます。
もう何もかも仕方がないことは私だって理解しているのです。
あれから歳を経たいまのあなたは、私が愛した初恋の人とは紙一重で違う存在なのでしょう。
ただ伝えられなかった私の恋心を持て余しながら海辺を散策します。
その実態は怖ろしく孤独な光景かもしれません。
過去に幽閉されたまま
遥かなる月日に よせるときめきは
終わりのない ノスタルジア
出典: ノスタルジア/作詞:竹内まりや 作曲:竹内まりや
初恋の日々から私はどれだけ歩いてきたでしょうか。
その間、私はひとりで人生を歩んできた可能性だってあります。
もしくは誰かと付き合ってみてもあの日のあなたには誰も敵わないと悟ったかもしれません。
過去を思い出す散策の中で、コールされるのはあの頃のあなたにときめく心でした。
ここまで美化されたあなたは既に人間という存在を超越したものです。
神化されてしまったあなたへの思いは信仰のようなものであり簡単には捨てられません。
竹内まりやはこのままでは私は一生、この状態から抜け出せないということをもちろん見抜いています。
彼女は作家として主人公である私を生み出しました。
自分が作り上げた人物であることで愛着があるのは確かなはずです。
しかし私の決断や歩んでいる人生をもっと冷徹な目で見つめている可能性があります。
終わりのない ノスタルジア
出典: ノスタルジア/作詞:竹内まりや 作曲:竹内まりや
私はこの場所から永遠に立ち退けない、抜け出せないことを歌っています。
この先もこの「ノスタルジア」に私は幽閉され続けるだろうと歌うのです。
抜け出せないその場所は「ノスタルジア」であっても、魂の牢獄に等しいでしょう。
その怖ろしさについて竹内まりやほどの人が気付いていない訳がありません。
作家というもののデモーニッシュな側面がここに現れているように思えてならないのです。
とはいえ竹内まりやはこの楽曲に優しい肌触りのボサ・ノヴァを添えました。
そこには私への同情を滲ませた視線が感じられます。
誰にだって初恋は特別なものであること。
そしてここまで極端な人物は歌の中でしか表現できないという竹内まりやの作家性が生み出したもの。
それこそが「ノスタルジア」という楽曲の世界の基軸になっているのです。
最後に 美しさの影に
私は重篤な熱病患者のよう
あんなに誰かを好きになって
心燃やすことなど 二度と
訪れるはずのない今でも 忘れられぬ初恋よ
出典: ノスタルジア/作詞:竹内まりや 作曲:竹内まりや
もう終盤に差しかかります。
竹内まりやという作家は比較的に情報量の少ない歌詞で深いドラマを紡ぐ人です。
最初から最後まで私の独白が基調になっています。
特にこのラインは私によるこの歌詞の総括のような役割を果たすのです。
いま初恋を経験している若いリスナーもいるでしょう。
その恋ができるだけ長く続くことを祈らずにはいられません。
一方ですでに初恋を終えた人だって多いはずです。
あれだけの情熱を傾けたのにいまこの瞬間まで持続できなかったのかと思うのは無理のないことでしょう。
初恋は例外なく若い時期に訪れるものです。
多くの人にとっては一過性の熱病のようなものかもしれません。
しかし激しい熱病と対峙した記憶は誰にとっても忘れられるものではないのです。
私にとって初恋はまだまだ続いています。
一過性の熱病ではなく永続性の病のようなものであるのですから私を手当できる人はいません。
難治性の熱病というのはあまり聞かないでしょう。
というのもそれほど重篤な熱病だったら生命まで危うくしてしまうからです。
私は生命がどうのという状況にはなっていません。
しかし私の「Life」、つまり生命ではなく人生が重篤な状況にあることを見極めておく必要があります。
いよいよクライマックスです。
竹内まりやは残酷な物語を美しい詩に昇華しています。
ただ、その怖ろしさというものを作家自身が強く自覚していることが分かるラストです。