初恋の思い出の描き方

2021年7月16日デジタルリリース

神はサイコロを振らない×アユニ・D× n-buna fromヨルシカ3名によるユニットでリリースされた「初恋」。

リリースとほぼ同時に”神はサイコロを振らない”のライブにて楽曲が披露されました。

米国Billbordの日本版であるBillbordJapanが発表するHeatseekers Songsでの評価もされています。

なんと初登場8位という実績で話題だけではなく実際に販売も好調。

リリースする曲のほとんどが話題になる3つの個性が良い形で混ざり合った作品です。

世間をにぎわすユニットの活躍にこれからも目が離せません。

言葉を交わすような曲

コンポーザーのn-bunaはYouTubeに次のようなコメントを寄せています。

”男女が言葉を交わし合うようなイメージ楽曲を作ろう”。

人にはそれぞれの初恋があります。

初恋だと認識する人もいれば、後から考えたらあれが初恋だったかな、などです。

n-bunaにとって初恋とは会話をするようなイメージがあったのでしょう。

”初恋”はn-bunaのメロディーに神はサイコロを振らないの柳田周作のアンニュイな歌詞を載せた作品です。

2人の描く初恋の世界観は甘さや切なさだけではない”過去と現在の時間の流れ”というキーワードがあります。

過去の会話を思い出しているのか、自分自身が過去に戻って仮初の会話をしているのか。

今回はそんな”初恋”の歌詞について考察をしていきます。

是非最後までお読みください。

指切りをした約束

笑うきみと上手く笑えない僕

ねえ 海が見たいと笑った
君のようには うまく笑えなかった

出典: 初恋/作詞:柳田周作 作曲:n-buna from ヨルシカ

曲はアユニ・Dと柳田周作が交互に歌うところから始まります。

静かに問いかける女性とそれに答える男性といったところでしょうか。

女性は笑っているのに、その笑顔を見ても笑えない男性

何か隠し事でもしている様子が伺えます。

海が見たいという女性はいくつくらいの年齢なのでしょうか。

日本は4方を海に囲まれた島国です。

ある程度の年齢であれば海に行くことなど造作もありません。

もしかしたら行きたいのに行けない。

何か自分の希望が叶えられない状況があるのでしょうか。

少し照れる僕

うん いつか連れていくねって
指切りをして 少し恥ずかしくなって
わざと戯けてみた

出典: 初恋/作詞:柳田周作 作曲:n-buna from ヨルシカ

優しく約束をかわしたものの、恥ずかしくなった。

“いつか”と付け加えるということは、すぐには実現できない理由があるのでしょう。

しかし指切りをするというところに本気で海に連れていきたいという感情が読み取れます。

こうした歌詞誠実な男性像が浮かび上がるのです。

そして少し恥ずかしくなって戯け(おどけ)ています。

恥ずかしくなったとうことは別に誠実な自分に照れている訳ではありません。

きっと自分の本心が相手にバレるのが嫌で気持ちを誤魔化しているのでしょう。

人は自然と自分の感情が相手に伝わるのを恐れます。

それは心を読まれそうで怖いという本能が働くからです。

そうはいっても優しさからくる心遣いの気持ちを読まれたくないのは少し幼い印象を与えます。

この男女の年齢は比較的若い、まだ未成熟な部分があるのでしょうか。

夏霞が空に溶ける

夏霞たなびいて 空に溶けては また君を想う
今年もあの海まで 辿り着いたなら 逢えるかな
砂の足跡

出典: 初恋/作詞:柳田周作 作曲:n-buna from ヨルシカ

夏霞とはあまり聞きなれない言葉です。

春に多いと思われている霞ですが、実は夏でも起きることがあります。

あまり一般的な気象用語ではなく、俳句などで使われる季語の1つです。

夕立ちなど強い雨が降った翌日に、上空の湿度が高い状態で安定すると見られる自然現象です。

霞や靄は空気中の水蒸気がとても小さな水の粒となって空中に浮遊している状態を指します。

区別は視界の悪さですが。霞はこの中では1番視界が良い状態です。

夏霞とは一定の間しか現れず、上空に発生するため、すぐになくなってしまう淡い存在になります。

また君を想うということは、前にも君のことを想っていて再び思い出したということです。

そして、また逢えるかなということは会えない可能性を含んでいます。

さらに、逢えたとしてもあるのは足跡

君本人には逢えないということでしょうか。

それとも足跡の先に君がいるということになるのか、大変思わせぶりな歌詞です。

なんでもないラジオの会話