天のストーリーライター
愛を その手に
最後この芽に愛を―
出典: STORYWRITER/作詞:JUNJI ISHIWATARI 作曲:KOJI NAKAMURA
天にいるストーリーライターには大いなる慈愛があるようです。
芽という単語が登場します。
若い命の芽吹きした何ものかを天にいるストーリーライターが大きな慈愛で包むのです。
やはり緻密に読み解くには「天」の概念をはっきりさせるほかにしようがありません。
手、目、画に慈悲の光
物語の後半が始まる?
天に いっせいに開いた手に
いっせいに開いた目に
いっせいに描いた画に
光が射して 未来を裂いて
ストーリーの
後編がスタート!!!!
出典: STORYWRITER/作詞:JUNJI ISHIWATARI 作曲:KOJI NAKAMURA
1番の歌詞のリフレインが続きます。
開いた手、目、画に慈悲の光が射すのです。
そして天にいるストーリーライターのペンによる物語の後半がここから始まると歌います。
歌詞は一貫して意味よりも音韻に力点が置かれている。
ゆえに端的なイメージの羅列に頼っていて解釈は至難です。
いよいよ天にいるストーリーライターというテーマについて考える時間になります。
天の思想史とストーリーライター
ギリシャ的多神教から一神教へ
まずギリシャ文明のように多神教的な世界観が西欧諸国の基礎だった時代がありました。
しかし後にユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの絶対的な一神教が台頭していきます。
特にキリスト教の発展は西欧諸国の思想史に重大な足跡を遺すのです。
この変化によって中世までキリスト教神学が思想の中心になります。
SUPERCARが歌う天にいるストーリーライターと両立可能な思想や神学が主流だった時代です。
デカルト、スピノザ etc.
デカルトが合理主義哲学の先駆けとなり、哲学的に神の存在証明を行う頃に新しい思想史が始まるのです。
デカルトに影響されたスピノザの汎神論は後世の唯物論を先取りするほど実りある知の結晶になります。
次にフォイエルバッハなどの初期の唯物論者が行った論考の中で無神論が思想史の中で影響力を持ちます。
ここでSUPERCARが歌う天にいるストーリーライターの存在と思想史がバッティングしてしまうのです。
そして初期唯物論の後にマルクス、ニーチェ、フロイトが登場。
いまの現代思想の出自となるこの3人の思想は現代社会にも多大なインパクトを与えます。
SUPERCARはハイセンスでスノッブな雰囲気をもった最先端のバンドでした。
ただ、彼らが歌う天にいるストーリーライターと現代思想史との齟齬が徐々に明らかになります。
マルクスが言いたかったこと
マルクス主義の宗教観
マルクスは「宗教は民衆のアヘン」と書いたため、単純な無神論と勘違いされがちです。
実際のマルクスの試みは「神」や「宗教」を観念論的な把握から解き放つことにありました。
マルクスの唯物論的な社会科学の実際は、「神」や「宗教」を社会的実在として認めるというもの。
神や教会は人間社会の営みの中で生まれて実在するのだという把握の仕方です。
マルクスによればSUPERCARが歌う天にいるストーリーライターの存在も社会的な実在にすぎない。
あたかも神のように振る舞う存在者は人間が作り上げたものだという所見です。
マルクスは「宗教は民衆のアヘン」と書いた頃、「神の議論はもう先人によって尽くされた」と記します。
マルクス以前にすでに神の不在については結論が出されたというのが哲学史の常識です。
SUPERCARが歌う天にいるストーリーライターは地上に引き摺り堕ちます。