ニーチェはより扇動的に神の死を宣告します。
「喜ばしき知恵 フリードリヒ・ニーチェ 河出文庫」の中で「神は死んだ」と宣言します。
私や私たちが神を殺害したのだとも書くのです。
SUPERCARの良質なスノッブな雰囲気もニーチェの過激さの前では形無しにされてしまいます。
ニーチェの筆鋒は奔放かつ鋭く過激です。
ここから20世紀、21世紀に繋がる思想が開花します。
果たしてSUPERCARが歌う天にいるストーリーライターと現代思想は共存できるでしょうか?
望みは薄いようです。
フロイトのインパクト
その他、ホーキング博士の言葉
フロイトは哲学的には案外と素朴な唯物論をベースにした心理学者・精神分析医です。
心理学者として科学者として問題に取り組む彼の数々の論考は唯物論が優勢になった哲学史に寄り添います。
フロイトの一番の業績はデカルト以来の哲学に再考を迫ったことです。
意識には無意識を、理性にはリビドーを対置して近代合理主義に疑問符を突きつけます。
一方でマルクス、ニーチェ、フロイトはともにスピノザの業績を高く評価しているのです。
スピノザの功績、無神論や唯物論への橋渡しが評価されます。
近年の天文物理学者のホーキング博士なども「神が不要になる時点にまで我々の研究は進んだ」と書きました。
天にいるストーリーライターの存在を素朴に信じるきることはこうした精緻な議論の前では形勢不利です。
それでもSUPERCARは「STORYWRITER」を世に問いました。
彼らの真意はどこにあるのでしょう?
「神の不在」への抵抗?
天にいるストーリーライターの意図
「神の不在」がここまで優勢になった歴史に抵抗するようにSUPERCARは「STORYWRITER」を歌います。
しかし、天にいるストーリーライターというものが、果たしてどういった存在なのかは明確にされません。
まず「天」が何を指すのか。
キリスト教でいう神なのか、神道の天皇の別称としての「天」なのか定かでありません。
天にいるストーリーライターの意味は曖昧模糊としています。
そこには日本の現代社会固有の事情が透けてくるのです。
オウム真理教・地下鉄サリン事件の余波
1995年3月20日、日本を、そして世界を震撼させたオウム真理教・地下鉄サリン事件。
この事件のインパクトは現在まで日本社会を覆っています。
オウム真理教は事件前まで、マス・メディアに露出して日本社会に浸透していったのです。
その「名前は聞いたことがある新興宗教団体」が起こした凄惨なテロ。
このテロ事件以降、しばらくの期間、日本社会では宗教そのものへのタブー視が始まります。
SUPERCARが「STORYWRITER」を発表した時代も、まだその雰囲気が続いていました。
どんな存在なのかは分からない
SUPERCARの歌詞を担当する石渡淳治が何か特定の宗教を信仰しているかなどは知る由もないです。
「STORYWRITER」の歌詞には神を思わす存在が登場しますが、いったいどんな神なのかは分かりません。
それも仕方がないことです。
もし「STORYWRITER」が特定の宗教の天にいるストーリーライターのことであったなら?
おそらくこの曲はいまほどの支持は得られていないでしょう。
まとめ:「STORYWRITER」をめぐるストーリー
楽しい思考実験
現代人の多くは自分の人生は自分で切り拓いていると素朴に信じています。
しかしひとりひとりの人生が天にいるストーリーライターによるシナリオによるとしたらどうでしょう?
ひとは自分の人生から疎外されてしまいます。
しかし天にいるストーリーライターには大いなる慈愛があるようです。
案外、いまより幸福な人生を送れるかもしれません。
こうした空想は思考実験としては案外楽しいものです。
飛翔感覚の中で生まれた歌詞
SUPERCARはこの時期、エレクトロニカを導入しました。
ギター・ロックのザクザクとした生々しい響きに加えて、深淵を覗き込むようなエレクトロニカのサウンド。
この組み合わせでSUPERCARは大いなる飛躍を遂げます。
「STORYWRITER」の歌詞はそうしたステップ・アップ、飛翔感覚の中で生まれた歌詞なのかもしれません。
飛んでいたら天まで届いてしまったような感覚。
この時期のSUPERCARは実に神々しいサウンドを披露します。
この次元ではバンドがどうかなってしまうのではと心配しますが、実際にその後に解散してしまいます。
彼らが「STORYWRITER」の思惑通りに幸せを掴めたかは判断が難しいです。