川のあるネオン街とは『博多豚骨ラーメンズ』の舞台である博多・中洲をさしています。
報われることを信じて夜の街をひとり歩いていますが、美しい朝日を目にしてふと悟るのです。
自分はすでに真っ黒に汚れてしまっていると。
過去が「もうない」ということは、元いた世界に置いてきた何か大事なものを失ったばかりなのでしょうか。
ついて間もない心の傷、その喪失感が伝わってきます。
生きている間はチャンスがある
見せかけの希望でも 救われたいんだろ
この街だけは君を 裏切ったりはしないさ
必死で生きろ いつだってストーリーは
最後まで分からないもんだって 決まってるだろう
生きるしかないのさ
出典: ストレイ / 作詞:岸田 作曲:岸田
「見せかけの希望でも 救われたいたいんだろ」
意地でも前を向こうとする気合いが感じられて、とても好きなフレーズです。
希望は未達成の状態だから抱くものですが、まだ手に入れていないなら本当も嘘も大差はありませんからね。
主人公・馬場善治がリンに「野球は9回裏ツーアウト満塁になっても分からない」と語るシーンがあります。
死んだら終わりですが、生きている間は寿命を迎えるその瞬間まで何が起こるか分からないもの。
ならば、そこに賭けて奥歯が砕けるほど食いしばってでも生きるしかない。そんな強い決意が伺えるフレーズです。
歌詞のなかで語られる人物を少しマイルドにたとえるなら、生きてるだけで丸儲け精神の持ち主なのでしょう。
2番の歌詞はリンと馬場の出会いを意味している?
続いて2番の歌詞を深読みしていきます。まずはAメロ、Bメロです。
見上げた野良犬根性の先に……
生涯で一度くらいは 本当の愛を知る
もちろん誰でも 次は君の番さ
なんて語りかける詐欺の手口は聞きあきたぜ
あんまり芸がないね
そんな嘘みたいな 約束でも
時には真に受けてみてもいい
これまでの人生じゃ 考えもしなかった
こんな時にどんな 表情(かお)をすればいいのか
終わらねえぞ ひとつだけわかったのは
足掻くのだけはやめるべきじゃないって そういうことだろう
出典: ストレイ / 作詞:岸田 作曲:岸田
きれいごとには一切ごまかされません。詐欺と断定してしまうのはやはり裏社会に生きているからでしょうか。
甘言を真に受けてもいいと思えるオンリーワンに出会えたのは、野良犬根性で生きてきたごほうびのようです。
続くフレーズに、騙され続けてきた人が善意など知るはずもなく、初めてのことに戸惑う様子が表れています。
どうしていいか分からずツンデレのように冷たく当たってしまうかもしれません。
しかし、相手は自分の願いをひいては命を託せるような存在。そんなことで気変わりなどしないでしょう。
表情や言葉にせずとも、足掻くのをやめないという行動をしっかり見ているはずです。
”彼”という居場所を見つけた
いつまでもシケた面してんじゃねえ 覚悟はしていただろう
感情論で十分だ この時を奇跡的な一瞬へ
暗闇を走っても 救われるものさ
幸運って奴だけは どこまでも気まぐれだ
見せかけの希望でも 救われたいんだろ
この街だけは君を 裏切ったりしないさ
必死で生きろ
誰からも愛されていないような気がしても
どこかに居場所はあるものさ
この街にはね
出典: ストレイ / 作詞:岸田 作曲:岸田
「終わらねえぞ」、「シケた面してんじゃねぇ」
ここで突然語調が変わりました。
『博多豚骨ラーメンズ』の登場人物で乱暴な口調のキャラクターとして真っ先に浮かぶのはリン。
『ストレイ』のCDジャケットに描かれたキャラクターです。
「地面に落ちた飯を食ったことがあるか?」というセリフからも凄まじい人生だったと想像に難くありません。
唯一の家族を殺され、失うものがなくなった彼はいわば“無敵の人”。激情に任せて突っ走るのみです。
死に物狂いで生きて生きて生き抜いて転がり込んだ街でようやく居場所を見つけた。
おそらく、リンと馬場の出会いを匂わせているのだと思います。
1番はひとりきりでしたが、2番では仲間に巡り合えました。
生き意地汚くてなんぼ。綺麗に生きるよりも、泥臭いほうが美しい。
あきらめないことが肝心だと改めて気付かされる楽曲です。