哀愁漂う、フォークソング
時代は昭和,主人公は高校生?
曲の冒頭から流れるオカリナの、なんともいえないものさびしさ。
それが、昭和を代表する名曲、「夕暮れどきはさびしそう」です。
この曲が発表されたのが1974年。
当時、パソコン・スマホといった文明の利器は全くありません。
あるのは、黒い固定電話が一家に1台。
意思を伝える手段は、残りは手紙です。
そんな時代背景の中、主人公はいかにして大好きな女性にアプローチしたのか。
その時の、心の葛藤を美しいメロディラインで綴っています。
そして、この曲のリズムは、主人公の本心を代弁しているかに感じ取れます。
好きな彼女と一緒なら、こんな寂しいリズムは似合わないはずなのに。
そこに、この曲の歌詞を紐解くヒントがあるのです。
主人公の気持ちを察しながら、歌詞の最初をみていきます。
主人公は恋に悩む小心者?
ぼんやりベンチにすわってると…
田舎の堤防夕暮れ時に
ぼんやりベンチにすわるのか
出典: 夕暮れどきはさびしそう/作詞:天野滋 作曲:天野滋
主人公が暮らすところは、自然が豊かで、家の近くに大きな堤防のある郊外のようです。
そこはカップルが並んで夕日を眺めるには、絶好の場所です。
主人公は、今日も一人で堤防のベンチに腰掛けると、なんともいえない寂しさがこみあげてきました。
「一体、いつまで一人でここにいるのか?」。
ぼんやりベンチに座っている主人公は、どうやら高校生(?)なのかもしれません。
主人公の思いは、さらに次の歌詞に綴られます。
素直な気持ち
散歩するのもいいけれど
よりそう人がほしいもの
出典: 夕暮れどきはさびしそう/作詞:天野滋 作曲:天野滋
散歩して気持ちをごまかすのもいいけど、それでは解決しないのです。
自分の素直な思いは、ここに好きなあの娘にいてもらうことなのです。
多くのカップルがそうであるように、自分も肩を寄り添いたいのです。
それが、主人公の切実な思いなのです。
そんな思いは、さらに次の歌詞に綴られます。
回りの暗さは僕の味方
淋しさはどこから
あの娘がいればぼくだって
淋しい気持ちにゃならないさ
出典: 夕暮れどきはさびしそう/作詞:天野滋 作曲:天野滋
大好きなあの娘が、ぼくの横にいてほしいのです。
そうすれば、こんなに淋しい気持ちになんて、ならないはずなのです。
主人公は、率直な思いを、歌詞にゆだねています。
横にいて欲しいと思っている女性は、恐らくクラスメート。
いつも笑顔の似合う、素敵な同級生です。
主人公の、彼女を思う気持ちがさらに、次の歌詞に続いていきます。
暗さは味方?
回りの暗さは僕たちのため
あの娘が来るのを待っている
出典: 夕暮れどきはさびしそう/作詞:天野滋 作曲:天野滋
そう思っているうちに、あたりは一気に暗くなってきます。
普通ならば、回りが暗くなれば、淋しさは一層、増します。
でも、その暗闇は、主人公の強い味方になってくれているようです。
「君のために、今日もこうしてあたりを暗くしてあげたよ」。
夕暮れがそう言っているかのように、主人公の心に囁きます。
そして、歌詞は主人公の心の叫びを歌います。