デビューしたきっかけは?
井上陽水のバックバンドでした
玉置浩二率いるバンド、安全地帯は、結成が1973年と古く、最初は、玉置浩二と中学校の同級生で組んだバンドでした。そのころから「安全地帯」という名前で活動していました。
ヤマハポピュラーソングコンテストの常連で、結成してから3年後に、つま恋本選会(全国大会)に出場したりするなど、北海道では有名なアマチュアバンドで活躍していました。
その後、井上陽水の目にとまり、1981年、北海道旭川市から上京し、井上陽水のバックバンドとして活動はじめます。 翌年、安全地帯は「萌黄色のスナップ」でデビューを果たします。
そして、1983年、4枚目のシングル「ワインレッドの心」が大ヒットし、一躍、有名になります。
玉置浩二のボーカルは、とにかくウマい!のは当然ではありますが、時折入る、ウィスパーボイスというのでしょうか、独特な息づかいの表現力でファンを魅了しました。
この曲の作詞は、井上陽水によるものです。
ソロでの活躍
映画、ドラマに出演、「All I Do」でソロデビュー
当時の玉置浩二は、アイドル並みに人気がありました。若い男子など、こぞって、彼のヘアスタイルやルックスをまねていました。
映画「プルシアンブルーの肖像」に出演し、「All I Do」でソロデビューも果たしました。主演は、当時アイドル的女優の高橋かおり。玉置浩二は、学校の用務員という地味な役どころでした。
1989年には、TBS系テレビドラマ「キツイ奴ら」に出演し、小林薫の子分役の演技で開花しました。劇中、アコースティックギターで歌を披露するなど、ギャグも多様しためちゃくちゃ楽しいドラマでした。小林薫とのコンビも抜群でした。このドラマは、ギャラクシー賞奨励賞を受賞したほど、人気のドラマでした。
順風満帆かと思いきや…、その頃、ワイドショーを騒がすようなことがあったり、病気説があったり、活動休止などありましたが、のちに、この時代、とても苦しい時期だったことがインタビューで明かされています。
今の誰もが認める安定した歌唱力、重厚な表現力とエネルギーの塊のような歌は、玉置浩二か抱え込んでしまった苦しみを乗り越えたからこそ、完成されたものなのかもしれません。
音楽ライター、志田歩さんのルポルタージュです。5年の取材期間、12年という長きにわたって、孤高のミュージシャン、玉置浩二を追い続けた本です。 この本を読むと、才能あふれる音楽人間、玉置浩二のすばらしさに感銘を受けるほどです。 柔軟な感受性を持ちながら、めちゃめちゃデリケートな精神を持つアーティストってことが分かります。 また、真摯に音楽と向き合って、楽曲を作る姿勢には感服します。 心の変調をきたしてしまったころ、北海道の実家に戻ったとき、お母様から言われたそうです。 書籍のタイトルでもある「幸せになるために生まれてきたんだから」と。
今年ソロデビュー30年
「ALL TIME BEST」
ソロデビューしてからの表題曲をすべて収録したアルバム「ALL TIME BEST」が発売になりました。
このアルバムは、玉置浩二名義のソロで出したシングルをすべて網羅したアルバムです。
テレビドラマ「キツイ奴ら」の主題歌「キ・ツ・イ」、テレビドラマ「東京バンドワゴン」エンディングテーマ「サーチライト」、サバカレーを世に知らしめたテレビドラマ「コーチ」の主題歌、大ヒットした「田園」を含む全25曲です。
全国ツアー「ALL TIME BEST「30」〜30th Anniversary Tour 2017〜」
2016年体調不良でしたが、完全復活!
2016年、憩室炎(けいしつえん)のために公演が中止になり、心配されましたが、ソロデビュー30周年の2017年、完全復活し、ツアーを決行中です。
年始のころから、春、夏とソロでのコンサートはもちろん、「ALL TIME BEST「30」〜30th Anniversary Tour 2017〜」は晩秋のころまでつづき、そのあとは、安全地帯デビュー35周年のツアーが、日本武道館、台湾公演とつづきます。
2018年も「玉置浩二ビルボードクラシックス2018カーテンコール」の公演が6公演決まっています。