一歩目に戻った所からまた歩き始めました。力が入ってちょっと前のめり。

格闘技系パンチで気合を注入したのでしょうか…。

幸福より勝利に向かっている?そんなことはありません。ここは勝ち負けとは無関係。

汗とべそをかく、韻を踏みながら苦しい現状を歌っています。

でも歩みを止めてしまうような出来事は、汗や涙がないと乗り越えられません

汗をかいて涙を流すことを、ためらう必要は無いのです。

幸福につながるための、ひたむきに歩き続ける努力。

結果だけを求めるのではなく、その過程を大事にして欲しいのです

困難を乗り越えて咲いた花。

花の美しさは歩き続けたあなたの美しさにもなっています。

ながら歩きは禁止

足は上がっていますか

腕を振って 足をあげて
ワン・ツー ワン・ツー
休まないで 歩け
ソレ ワン・ツー ワン・ツー
ワン・ツー ワン・ツー

出典: 三百六十五歩のマーチ/作詞:星野哲郎 作曲:米山正夫

万が一の時は立ち止まる・汗や涙を流すのもOK、でもやってはいけないことがあります。

それは、ながら歩き。下を向いてあまり足も上げずに道を歩くのは禁止。

画面とのにらめっこだけでは、ラッキーチャンスとの出会いを見逃しがち

画面の外にもチャンスはあります!

掛け声は「1・2 1・2」でリズムよく、前を向いて歩くことを思い出してください。

運動会の行進のように、腕の振りと足の上げ方を意識して歩きましょう。

強めなエールが少し照れ臭い…、でもこれが「三百六十五歩のマーチ」の特徴。

やる気と勇気を鼓舞してくれるフレーズを、聞き逃すのはもったいないですね。

歩き続けるのは、しあわせのため・あしたのため、そして自分のため

もうひと踏ん張り、前を向いて歩きましょう。

しあわせとの出会い方その1

ドアのサイズは?

【水前寺清子/三百六十五歩のマーチ】歌詞を徹底解釈!名曲に込められた底なしの強さに触れてみよう!の画像

しあわせの扉はせまい
だからしゃがんで 通るのね
百日百歩 千日千歩
ままになる日も ならぬ日も

出典: 三百六十五歩のマーチ/作詞:星野哲郎 作曲:米山正夫

しあわせにたどり着いても、そこにはマニュアルがあるようですね。

目の前のしあわせを逃さないためにも、マニュアルを確認。

そのまま通ることはできないサイズのドアが、しあわせの前にあるようです。

ズカズカとしあわせの中に踏み込んではいけません。一歩離れてドアのサイズを確認してみましょう。

自分より小さなドアに気が付きましたか。

しあわせの前で自分を大きく見せる必要はありません

目線を下げてしあわせを見ることで、ホントのしあわせを知ることができます。

百日なら三ヶ月と少し、千日なら三年弱歩き続けて巡り会えたしあわせ。

思い通りになる日もならない日も歩き続けた結果ですね。

しあわせが見えないと嘆くより、その先を信じて歩いて欲しいと歌は教えてくれます

一日一日を大切に

【水前寺清子/三百六十五歩のマーチ】歌詞を徹底解釈!名曲に込められた底なしの強さに触れてみよう!の画像

人生は ワン・ツー・パンチ
あしたのあしたは またあした
あなたはいつも 新しい
希望の虹を だいている

出典: 三百六十五歩のマーチ/作詞:星野哲郎 作曲:米山正夫

今日が終わると必ず来るあした。その次の日にも、あしたがあることを忘れがちですね。

一日そしてその次の一日の積み重ねが、その先の未来につながることを教えてくれる歌詞

今日が終わって眠りについて、朝日が昇ればまた一日が始まります。

当たり前のことですが、新しい一日が始まるのです。新しい日は昨日とは違う一日

絶望した次の日も、新しい朝が必ず来るのです

新しい空気に満ちた一日の始まりは、未来への懸け橋も作ってくれました。

新しい朝を迎えて、今日も歩みを続けるあなたには輝く未来が待っています。

心に響くエールになる「三百六十五歩のマーチ」を聴きながら、今日もまた歩き続けましょう。

しあわせとの出会い方その2

あなたのすぐ横に

しあわせの 隣りにいても
わからない日も あるんだね
一年三百六十五日
一歩違いで にがしても

出典: 三百六十五歩のマーチ/作詞:星野哲郎 作曲:米山正夫

すぐそばにある、しあわせに気が付かない…残念ですね。考えられる原因には何があるのでしょうか。

ぼんやりしているから・うっかり寝ていた・見て見ないふりしちゃった、など色々考えられます。

一瞬下を向いただけなのに、逃すしあわせがあるかもしれません。

でもすぐそばのしあわせに気が付く日もあるんです

下を向いたままのうつむき加減で過ごす日は、目の前やすぐ横にあるしあわせに気付けないかも…。

心と身体が前を向いていれば、しあわせをキャッチするアンテナも上を向きます

気付けなかったことを悲しんだり悔しがるだけでは、幸せは逃げて行くばかり。

気付けないしあわせは、もう一度追い求めないと手にすることはできないのです。