平尾昌晃が小柳ルミ子を発見した時の第一印象は、きりっとした目と透き通った声だそうです。
当時は女性向けのファッション雑誌の全盛期で、アンアンやノンノという雑誌が主流でした。
この雑誌の情報を基に少人数で旅行する女性をアンノン族と呼び、日本各地の名所旧跡は彼女たちでにぎわったのです。
また、国鉄(現在のJR)のディスカバージャパンのキャンペーンもちょうど相まって、古くて新しいものが流行しました。
これらのイメージは平尾昌晃が小柳ルミ子に感じたイメージそのものでした。
そして、このイメージを膨らませ、古臭い童謡を新しい大人のイメージで作り直そうとしたのです。
このコンセプトでできたのが「私の城下町」です。
つまり、「私の城下町」は小柳ルミ子のイメージから生まれた曲だったのです。
作詞者は安井かずみ!
「私の城下町」を語るには、作詞者の安井かずみ抜きには語れません!
安井かずみの作る歌詞は、いろいろなジャンルの歌手に提供されています。
安井かずみの手掛けた歌詞は?
筆者の印象が強かったのは、女性歌手ではキャンディーズと南沙織。
男性歌手では、郷ひろみ、西城秀樹、沢田研二などのヒット曲を手掛けていたのを強く覚えています。
惜しくも50歳代で亡くなられたのも印象が強い原因かもしれません。
洋風なイメージの歌詞が多い人でした。
私の城下町の歌詞を書くきっかけとは?
平尾昌晃は小柳ルミ子をプロデュースする際に、古くて新しいをコンセプトとして選んでいました。
古くて新しい曲……。
そういえば、作詞家の安井かずみが「和風の歌詞だって作れるよ…」と愚痴っていたなあ……。
バタ臭い歌詞が多かった安井かずみの愚痴を思い出した平尾昌晃は、「今回のテーマに合うかもしれない」と作詞をお願いしたのです。
これがきっかけで、平尾昌晃、安井かずみのコンビが結成されたのでした。
清純派歌手のイメージはほんと?
デビュー曲の「私の城下町」は初恋の歌です。
小柳ルミ子は見た目がきりっとした美人で、デビューしたばかりのころはテレビでも控えめな発言が多く静かな印象でした。
デビュー当初が控えめなのは、何も小柳ルミ子だけではなくあの和田アキ子だっておとなしかったわけで、当然のふるまいでしょう。
そうすると当然、世間は清純派としてもてはやしてゆくわけですが、実際はどうだったのでしょうか?
小柳ルミ子は活動的?
ここで思い出していただきたいのが、宝塚音楽学校を首席で卒業したということです。
さらに強い意志で、歌劇団に入らず歌手デビューを選んだということは、活動的ですぐ実行に移すタイプということでしょう。
世間の印象とは怖いもので、歌の内容と見た目で清純派と判断したわけですね。
まあ、売り出すにはその方が都合がよかったということもあるでしょう。
でも、歌も踊りも抜群な小柳ルミ子がおとなしいわけがないじゃないですか!
筆者も元バンドマンでしたのでいろいろ話は聞いております。
当時ディスコが流行っていて、しょっちゅうお忍びで踊りに行ってたという話は有名でしたね!
若いんだから当然といえば当然なんですけどね~。
悪いことに、この当時の清純派イコール箱入り娘的なイメージですから、事務所もさぞ大変だったと思います(笑)。
お待ちかね、歌詞を徹底解説
お待たせしました、安井かずみの傑作ともいえる「私の城下町」の歌詞を解析してみましょう。