まずは「瀬戸の花嫁」懐かしの動画を見ましょう!

【瀬戸の花嫁/小柳ルミ子】20歳だから嫁に出す?!瀬戸内ご当地ソングはこうして生まれた【歌詞解説】の画像

平成生まれの方には不思議に思えるかもしれませんが、昭和の歌謡曲の中にもアイドル歌謡と呼ばれるジャンルがあります。

まあ、日本で一般的にアイドルという言葉が広まったのは70年代の初めですから、昭和のアイドル歌謡がもともとの出発点ですけどね!

昭和のアイドル歌謡とは?

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なぜこんな話をしているかというと、「瀬戸の花嫁」が当時のアイドル歌謡だったからなのです。

当時、鳴り物入り(古い!)でデビューした小柳ルミ子もそのアイドルの一人で、天地真理南沙織と合わせて「新三人娘」と呼ばれていました。

これを読んでいる昭和生まれの方はそろそろ当時を思い出してきたのではないでしょうか?

ではそのイメージを保ちつつ、当時のアイドル小柳ルミ子がミニスカートで写っている動画を見てみましょう。

感動しますよ!

「瀬戸の花嫁」のプロモーション映像はこちら!

どうですか?

髪型や衣装を今風にすれば十分通用する美少女でしょう!

ただ、歌がとても上手なのでどうしても大人っぽく見えちゃいますけどね。

ご当地ソングの背景にあった時代の流行とは?

【瀬戸の花嫁/小柳ルミ子】20歳だから嫁に出す?!瀬戸内ご当地ソングはこうして生まれた【歌詞解説】の画像

小柳ルミ子のデビュー曲は皆さんご存知の「わたしの城下町」です。

この後の4曲目のシングル「瀬戸の花嫁」なんですが、ご当地ソングとこの2曲がどんな関係なのか当時を振り返ってみましょう。

ディスカバージャパンとマッチした小柳ルミ子

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70年代にご当地ソングが流行した理由として、当時の国鉄(現在JR)が打ち出したキャンペーンの影響がありました。

このキャンペーンの名前が「ディスカバージャパン」といって、「日本を再発見しよう!」というコンセプトのキャンペーンでした。

まさに小柳ルミが歌手デビューした年は、「ディスカバージャパン」で日本中が盛り上がり、格安の周遊券で旅行を楽しむ時代の始まりででもあったのです。

その後、70年代の後半にヒットした、あの有名な「いい日旅立ち」へとつながってゆくきっかけでもありました。

ご当地ソングといえば小柳ルミ子!?

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デビュー曲の「わたしの城下町」には具体的な地名は出ていません。

ですが、「ディスカバージャパン」のコンセプトである日本の再発見のイメージとしては十分なものがある歌詞でした。

具体的な地名がないからこそ、それぞれの地方にマッチし、お城やお寺などの日本建築を改めて見直す旅の象徴としてヒットしたのです。

つまり、どの土地にも当てはまる、みんなのご当地ソングだったわけです。

これに気を良くした所属事務所の渡辺プロダクションは、次はより具体的なご当地ソングでヒットを狙う作戦に出ました。

そうしてできたのが「瀬戸の花嫁」なのです。

この後にも「京のにわか雨」という曲が作られましたが、やはり「瀬戸の花嫁」のビッグヒットを追い抜くことは難しかったようです。

そのせいもあってか、ご当地ソングといえば小柳ルミという雰囲気が出来上がっていったのでした。

なぜアイドルが花嫁の歌?