壁を突破できない「僕」は、ついつい言い訳を……
さて自分を見失っている「僕」は、アイデンティティの危機にある、と言っていいでしょう。
ツーコーラス目のAメロでは、そのことをもっとストレートに表現しています。
自分を知れば知るほど何も
期待できないと思い知るだけなんだよ
気が付けばまた探してる今度は
ばれない精密ないいわけを
出典: こぼれ落ちて/作詞:清水依与吏 作曲:清水依与吏
「自分を知れば知るほど何も期待できないと思い知るだけ」、そして「気付けばまた探してる」。
この「探してる」ものは、おそらく期待できないと思い知った自分。つまり「僕」自身のことではないでしょうか。
自分が自分を探す、という自分探しの物語。
これは果てしない精神世界のエンドレスゲームであり、体験する者にとっては悪夢そのもの。
このテーマは「ブレードランナー」や「トータルリコール」のSF作家フィリップ・K・ディックのものですが、「こぼれ落ちて」はそれと同じテーマを歌っているのでしょうか?
おそらく違うでしょう。
「自分を知れば知るほど何も期待でない」のは、自分つまり「僕」が青二才だから、大人ではないから、なのです。
自分が大人になりきれていない青二才だから、それがバレないように「精密ないいわけ」をしなければならない。
ガキに思われないように、バカに見られないように、です。
これは、青春前期から後期に移行していく時に、誰もが感じ、ぶち当たる壁です。
壁にぶち当たっておっこちているか、または落ちかかっている状態の「僕」を歌った曲こそ、この「こぼれ落ちて」なのです。
「聖者の行進」へリンクする、その一歩手前の青春像
少年の甘ったれた感情は、すでに賞味期限切れ
ひとつ前で謎を掛けた、変わった僕に気付かなかった理由とサビの最後の4行の答えを発表しましょう。
その答えとは、結局これらが“どうなっていくのか”という「結末」のことなんですが、それはツーコーラスの同じサビに出てきます。
そこで知るんだ
この変化に慣れてしまったら
もう戻れそうもない
どれだけもがいても
出典: こぼれ落ちて/作詞:清水依与吏 作曲:清水依与吏
「もう戻れそうもない」、つまり“戻れなくなる”というのが答えです。
「僕」が変わった「僕」に気付かなかったのは、「戻れなくなる」ほどに後退していった青二才の自分を見失ってしまったからです。
またサビの4行ですが、つまり
「そこで“戻れなくなる”ことを知るんだ」
「この変化に名前を付けたら」「きっと大人だって」“戻れなくなる”「どんなにもがいても」、というわけです。
戻れなくなる、を入れるとスッキリと文意が通りますよね。
これはつまり、大人になるのを拒否している、ガキの最後の抵抗なのです。
さらにツーコーラスと最後のリフレインするサビの間にある4行が、その抵抗している青二才の内面を表現しています。
もう誰のせいにもしないから
もう二度といいわけもしないから
強く生きていくよと誓うから
本当の弱くてださいこの気持ちを
出典: こぼれ落ちて/作詞:清水依与吏 作曲:清水依与吏
「もう誰のせいにもしない」とか「もう二度といいわけもしない」「強く生きていくよ」といったフレーズをみると、甘酸っぱい青春が発酵し過ぎてホロ苦くなったように思えます。
甘ったれた少年の感情は、もう賞味期限が切れて、腐敗寸前です。
もはや「僕」は少年(ティーン)でいては、いけないのです。
4thアルバム「ラブストーリー」収録の「聖者の行進」
ここまで読んでくると、「こぼれ落ちて」はこの3年後の2014年にリリースする「ラブストーリー」に収録された「聖者の行進」につながっているように思えます。
「聖者の行進」は、大人社会に組み込まれまいと抵抗するものの、いつの間にかその一員になりかかっている「僕」を見つめた曲。
「こぼれ落ちて」の「僕」は、この後、「聖者の行進」でビターな大人社会の壁にぶち当たるのです
でもまだ「こぼれ落ちて」の段階では、大人になりきれない自分自身にぶち当たっています。
よくよくぶち当たる「僕」ですが、これこそ青春時代を生きる若者の姿といえるでしょう。
がんばって壁をぶち抜いてほしいですね。
コードを覚えてカッコよく演奏しよッ♪
エッジの効いたギタープレイが求められそう
最後にワンコーラス分のコードをご紹介します。
Em Bm
意味のあるものを選び過ぎて
C B7
なんか大事な所が欠けているような
Am Bm
必要なものを選んでるのに
C B7
価値が下がってる気がするんだよ
Am Bm Em
理由を知れば知るほど誰も
Am Bm Em
悪くないって気付くそれだけなんだよ
Am Bm Em G C GonB
大事なものや大切な人は僕を
Am B7
強くしてくれたはずなのに
出典: こぼれ落ちて/作詞:清水依与吏 作曲:清水依与吏