中島みゆきってどんな人?
祖父は市議会議員、父は中島産婦人科の院長というエリート一家に育った中島みゆきは、大学時代に音楽活動を本格的に開始します。
そして1975年、ヤマハのコンテストで入賞したことをきっかけに『アザミ嬢のララバイ』でデビューを果たしました。
同じ年に開催された世界歌謡祭では『時代』を歌ってグランプリを受賞。翌年にはファーストアルバム『私の声が聞こえますか』をリリースしています。
その後は70万枚のセールスを記録した『わかれうた』、研ナオコが歌ってレコード大賞金賞を受賞した『かもめはかもめ』などのヒット曲を量産し、シンガーソングライターとしての地位を確かなものにしました。
ラジオパーソナリティとしても人気に
歌手への楽曲提供がすごい!
『世情』の時代背景って?
ではさっそく、難解だと言われている『世情』の歌詞を紐解いてみましょう。
でもその前に、この曲が作られた時代背景を知る必要があります。
安保闘争が背景に
『世情』が発売されたのは1978年。4枚目のアルバム『愛していると云ってくれ』の収録曲でした。
今の若者世代にはピンとこないでしょうが、1960~70年代にかけて、日本では大規模な反政府運動が起こっていました。
日米安全保障条約の改定に反対し、国会議員のみならず労働者や学生までも参加してあちこちでデモが行われました。
中心となったのは大学生で、勉強どころではなく学内は争いの場に。
東京大学の安田講堂を占拠して機動隊が突入した「東大安田講堂事件」に代表されるように、火炎瓶や投石が飛び交う激しい争いが繰り広げられていました。
中島みゆきが大学生だったのはちょうどこの時代。
先輩たちがシュプレヒコールをあげてデモをする様子を日常的に見ていたそうです。
そして、その様子を見た時の想いを歌にしたのがこの『世情』だと言われているのです。
歌詞の解釈に挑戦!
世の中はいつも変わっているから
頑固者だけが悲しい思いをする
変わらないものを何かにたとえて
その度崩れちゃ そいつのせいにする
シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を流れに求めて
時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと戦うため
出典: 世情/作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき
<世の中は変わり続けるものだから、
変わらないことを大切にする人は頑固者とけなされて、
悲しい思いをしてしまう。
頑固者は悪のように例えられて、
何かがうまくいかないといつも
「お前のせいだ」と言われてしまう。
シュプレヒコールをあげてデモをする人々は、
変わらないことで得られる夢を求めている。
時の流れを止めて同じように
変わらない夢を見たがっている者たちと戦うために。>