終盤では「次の日も次の日も」という歌詞に呼応するかのように、場面が連続して切り替わる描写も。
この部分は、その日その日によっていろんな表情の空があるということを表しているのかもしれませんね。
ちなみに、この曲はアルバムの中でもベースの森下が特にお気に入りの1曲だとのこと。
彼が好きな時間帯は朝で、この曲の歌詞にも自分の気持ちとリンクするものを感じたんだそうな。
そう言われるといよいよ歌詞の内容が気になってくるところですね。
作詞をした古川にとって、朝という時間がどういう風に映っているのか…ここから歌詞を解釈していきましょう!
才能ある主人公の挫折
つばさのある最後の歌のようだった
君が歩く姿は 君が歩く姿は
金色に光る 木馬が話した
耳をすませば たしかにきこえた
出典: 失われた宇宙/作詞:THE PINBALLS 作曲:THE PINBALLS
ここの描写は少し難解になっていますね。
まず「つばさのある最後の歌」とはなんなのか。
例えばアルバムが一枚あるとして、最後に収録されている楽曲というのはどういう位置付けにあるでしょう。
きっと多くの場合、次回作への期待を煽るような、映画で言うエンドロールのような役割ではないでしょうか。
これに「つばさのある」という言葉が付いているのは、まさに次に向かって進んで行くイメージを与えるもの。
つまり主人公に話しかけた金色の木馬は、彼に対して次の日に向かって突き進んで行くような力強いイメージを抱いていたのではないでしょうか。
そして本来おもちゃである木馬が喋るなんてことはあり得ません。
しかし主人公が耳をすませば、確かにその声が聞こえたのです。
才能を感じていたのに何者にもなれなかった
うがい薬のように 止まってしまった時計のように
僕はポケットに宇宙を持っていたのに
それを知りながら 色あせて そんな風に 世界を失くした
出典: 失われた宇宙/作詞:THE PINBALLS 作曲:THE PINBALLS
「うがい薬」「止まってしまった時計」と意味深な言葉が並んで登場しますが、これは単にポケットに多くのものを詰め込んでいたということ。
重要なのはその後の「宇宙を持っていた」という表現。
宇宙という言葉を聞くと、無限に広がっているというイメージが湧いてきます。
これと同じように、そして木馬が主人公に力強さを感じていたように、彼自身も自分に無限の可能性があることを感じていたのでしょう。
しかしそれを感じていたにも関わらず、自分は今何者にもなれずに居る。
この部分は主人公のそういった挫折を描写しているのではないでしょうか。
挫折した主人公に空が訴えかけて来たことは
だけど次の日も 次の日も その次の日も次の日も
空は新しい雲をおどらせていた
そして次の日も 次の日も その次の日も次の日も
見た事もない雲が拡がるのは なぜ 全ては くだけちるのに
出典: 失われた宇宙/作詞:THE PINBALLS 作曲:THE PINBALLS
「次の日も」の連呼が耳を引くこの部分。
これについては古川も語っています。
なんでも明け方の空に浮かぶ雲が、毎日変化を見せてくれることに感心させられたことがあったそうですよ。
生きていればどんなに一生懸命にやっていても、報われないことはあります。
どうせ終わりがやって来る人生、それならば懸命に生きる理由などあるのか。
そんなことを思っていた主人公の目に飛び込んで来たのは、毎日懸命に形を変え続ける雲。
この世界もやがては終わっていくというのに、空は毎日懸命に生きようとしているのです。
懸命に生きることに疑問を持った主人公に、その姿は一際まぶしく見えたのではないでしょうか。
主人公が挫折してしまった理由は
主人公には全てを賭ける覚悟がなかった
ほんの少しだけ残して 賭ける事ができる 魂は 一つもなかった
ミルク色の台座の上で しゃべらなくなった
木馬のまわりを歩きつづけた
出典: 失われた宇宙/作詞:THE PINBALLS 作曲:THE PINBALLS
何かことを成し遂げようというのに、余力を残していて叶うはずがありません。
つまり大きなことに挑むなら、全てを賭けるぐらいの覚悟が必要なのです。
主人公が才能を持っていたのに、何者にもなれなかった理由はきっと全てを賭けることが出来なかったからなのでしょうね。
木馬が喋らなくなってしまったのは、そんな主人公の様子に呆れていることを表すかのようです。
悪魔よ 優しくしないで いつものままでいて
僕は手のひらに宇宙を持っていたのに
それをつかめずに こぼれてく 砂のように 世界を失くした
出典: 失われた宇宙/作詞:THE PINBALLS 作曲:THE PINBALLS
自分の中に天使と悪魔がいる…なんて表現もよくされますが、そんなとき悪魔は決まって甘い道へそそのかすもの。
自分に無限の可能性を感じていた主人公を挫折へ導いたのは、紛れもなく自分の中の甘えだったのです。
「こぼれてく 砂のように」という部分がチャンスを逃してしまったときのあっけなさを表現していますね。