追いかけていた夢を完全に消し去ろうとしても消えない。
「今も続けていたらどうなっていたんだろう?」
そんな迷いで胸がいっぱいだと言っています。
過去を捨てきれずに明日を生きようとしても、ただ日付が変わるだけ。
前に進んでいるようで何も変わらない。
これからどうなっていくのでしょうか?
手探りで進む日々
理由(わけ)も夢も分からないまま
旅路をさまようけど
きっと素敵なことがあるから この歌が響くよ
出典: 響~HIBIKI~/作詞:ATSUSHI 作曲:MISAKO SAKAZUME
一度捨ててしまった夢の代わりを見つけるのは大変です。
それは今まで家を支えていた柱が1本なくなってしまうのと同じ。
4本で支えていた柱が3本になった瞬間、不安定になってしまうのも当然です。
同じ太さ、長さの柱を見つけようと思ってもジャストサイズの柱はなかなかみつかりません。
とりあえず見つかるかわからないけれど森の中を歩いて探してみる。
傾いた家の中でじっとしているよりは歩いていた方がマシ。
でも右も左もわからない森の中はどんな危険が待っているのかわからない。
そんなときに「熊よけの鈴」のように「反響」して守ってくれる曲があると言っています。
答えがわからない
サビの後、1番と同じ歌詞のAメロが続きます。
森の中を歩いて少しだけ癒される。
でも次の日になれば同じことで悩んでいる自分がいる。
そんな日々の繰り返しだということが、同じ歌詞が登場することからも推測できます。
何もかも投げ出したい
許せない ことばかりで 全てのことが嫌になって
⾃分を知らないまま 明⽇への希望を探した
出典: 響~HIBIKI~/作詞:ATSUSHI 作曲:MISAKO SAKAZUME
夢を捨ててしまった自分が嫌なのか?
または夢の代わりが見つけられない自分が嫌なのか?
何が嫌なのかわからない自分に嫌気がさす。
つい優しくしてくれたあの人に当たってしまい自己嫌悪してしまう。
負のループへとはまってしまっています。
でも苦しみながらも「明日は何か見つかるんじゃないか」と信じて歩いていく。
この長い洞窟の向こう側には何が待っているのでしょうか?
笑っていた時のこと
幼いときのほほえみすら 忘れていたことさえ
気づかないくらいに 傷ついて
それでもまた 愛した
出典: 響~HIBIKI~/作詞:ATSUSHI 作曲:MISAKO SAKAZUME
自分がどんな表情をしているかは鏡を見なければわからない。
相手の顔を見ても自分の顔がどうなっているのかはうかがい知れません。
例えば普通に話しているつもりなのに「怒っているの?」と言われたとき。
嫌なことがあったときに眉間にしわが寄って、「怒ってないよ」と反論する口調も強くなる。
周りの態度でさらにイライラが募っていく。
こんな場面を経験したことがある人も多いかもしれません。
嫌なことがあったときは周りの景色を見ているようで見えていない。
見えているものは「嫌だと感じたもの」だけ。
意識しなければ思っていることが顔に出てしまうのは当然だと思います。
愛したものとは?
傷ついたにもかかわらず「また」愛したという意味。
何度も愛しく思えるような「何か」があるというのが推測できます。
ここまでで自分以外の登場人物は出てきません。
あくまでも自分自身と向き合い、「何か」を探している姿が描かれています。
具体的な「何か」まではまだ明かされていない。
ただ幼い頃の思い出が蘇ってきただけでも希望が見えてきたといえます。