日本語は主にひらがな、カタカナ、漢字を使って表記します。

漢字はその文字だけで言葉の意味が分かる、という利点がありますね。

「かける」では分からなくても「書ける」「掛ける」「欠ける」と漢字が入れば一目瞭然。

では「バクチ」はどうでしょう。博打?馬口?枠地?

実は、歌詞中では「バクチ」が漢字で表記されているのです。

見ているだけでは何も得られない

喧騒と乱舞の間に興奮する狂おしさで
掻いた汗が落ちる
嫌じゃないそういうのは
本当さ

出典: バクチ・ダンサー/作詞:Wataru Ujihara 作曲:Wataru Ujihara

騒がしい街中で人々が入り乱れて踊る様子が書かれています。

自分を忘れてしまいそうなほど興奮した人の汗が、その中に落ちていく。

「嫌じゃない」のです。

  • 嫌じゃないけど好きでもない
  • 嫌じゃないから加わりたい

「本当さ」とフォローまで入れているところを見ると、後者でしょうか。

人々に群れて騒ぐのを嫌うタイプに見えて、実は機会を狙っている

そんなふうに読み取りました。

想像するより現象を
骨身の髄に刺せよ
血潮が錆びる前に

出典: バクチ・ダンサー/作詞:Wataru Ujihara 作曲:Wataru Ujihara

喧騒を一歩引いた目で見て、そこで起きている事象を勝手に想像する。

そんな人もいるでしょう。

しかしこの曲では、事実を見て、事実に触れろと言っています。

いたる場所で感じた五感を体に突き刺して、体全てで感じるのです。

感覚を血液に乗せて体中を巡らせるのです。

だから血潮が錆びる前に急げ!ということではないでしょうか。

思いを抱えて驀地に進め!

春風に磨かれて
燃えさかる薄ら紅
衝動の影にやられた
驀地ダンサー
驀地ダンサー(踊ろうよ)

出典: バクチ・ダンサー/作詞:Wataru Ujihara 作曲:Wataru Ujihara

春風は文字通り、春に吹く風であり、南寄りの暖かい風のことです。

そんな穏やかな風にも、何かを燃え盛らせる力があります。

静かで小さな思いも、暖かな励ましや愛のこもった叱咤で少しずつ熱量を増していく

ついには淡い紅色の炎が燃え盛るほどに熱い感情となるのです。

そしてタイトルとなっている「驀地ダンサー」

「驀地」には、なにかに向かってまっしぐらに勢いよく進んでいくという意味があります。

燃え盛る炎を見ながら「進みたい」と思ったその人の背後、炎のせいで影ができます。

そしてその影は、背中を「ぽん」と押すのです。

思いを果たすため、願いをかなえるため、とにかく驀地に走れ!

そんな意味が受け取れます。

希望を潰し心を病んでしまった人々

風前灯を消すたび
自然と涎が枝垂る
パラノイドなリズム
切らさないで閉ざさないで

出典: バクチ・ダンサー/作詞:Wataru Ujihara 作曲:Wataru Ujihara

希望の灯が消えてしまったのに、なぜかヨダレが垂れてくる。

消えたのではなく自主的に「消した」からでしょう。

パラノイドは「偏執病」と呼ばれ、他者が自分を批判しているという恐怖に取り憑かれている状況です。

自ら希望を絶ち、誰かが自分を攻撃しているという妄想に支配され、ヨダレを垂らしている。

とても異常な状態ですね。

自らを狂わせるリズムを消さないで欲しい、だけど閉じ込めないで欲しいと望みます。

高揚する体に滔々と
ぬるま湯かけ合えば
僕たちは満たされる

出典: バクチ・ダンサー/作詞:Wataru Ujihara 作曲:Wataru Ujihara

入り口を閉ざさず、仲間を呼び込んだのかもしれません。

「僕たち」は互いを慰めるような生ぬるい言葉を掛け合います。

被害妄想で高ぶった人々は、同類を知り、同情をぶつけ合い、満足するのです。

これは何も精神的な病気にかかってしまった人々を表現しているわけではありません。

私たちも普通に生活をしている中で、傷を舐め合ったり、不幸自慢したり、同情合戦を繰り広げます。

それが心地よく思う瞬間だってあります。

しかし、だんだんと狭い世界に進んでいるような気がしてハッとすることもあります。

ここで歌われている「異常」とも思える状況は、実は「通常」なのです。

生きるために驀地に走る

青空にあこがれて
舞い上がる薄ら紅
生きるために生まれた
驀地ダンサー
驀地ダンサー(踊ろうよ)

出典: バクチ・ダンサー/作詞:Wataru Ujihara 作曲:Wataru Ujihara

そんな閉鎖的な空間の中にもいずれ希望を抱くものが現れます。

その思いは薄ら紅となって広い空に向かって行くのです。

妄想で団結して慰めあっていても、人生のコマはその場にとどまったまま前に進みません。

「生きていく」ことはコマを動かし続けること。コマを動かすために生まれたといえるでしょう。

コマを動かすためには、とにかく一心不乱に走っていけ!ということです。

病んだ人々もそのうち抜け出せる

永遠に快感していよう
瞬間だけ瓶に詰めて
唯我ある飛び方で
いつかはやれるさ

出典: バクチ・ダンサー/作詞:Wataru Ujihara 作曲:Wataru Ujihara

最もラクなのは、自分が心地よいと思える環境にずっと居座ることです。

パラノイドのリズムに支配されているのが心地よければそのままでいい。

ただ、薄ら紅が立ち上った瞬間だけは逃さないようにすればいい。

希望や目的が見えた瞬間のことですね。

「唯我」とは簡単に言えば「自分と自分の持ち物しかない」という考え方。

つまりこの世には自分しか存在せず、自分を批判するための「他者」が存在しないという意味でしょう。

周りのことを考えなければ、自分の目標だけを見据えていれば、いつか驀地に走り出せるだろう。

そんな意味に捉えました。