大失恋がアーティストを強くする
失恋の痛手を負った日々
あぁ 俺は 何度も 何度も叫んだけど
あぁ もはや 君は 遠い遠い思い出の中
出典: さらば青春/作詞:宮本浩次 作曲:宮本浩次
失恋から数年を経た今も「君」の名前を呼んでしまうことがある。
しかし「君」は何一つ応えてくれない。
なぜって既に「君」は「俺」の青春の記憶の1ページに過ぎないからです。
繰り返しになりますが宮本浩次は失恋を長く引きずってしまうタイプの人のようであります。
アルバム「生活」から失恋を挟んで生まれた「エレファントカシマシ5」はバンドの中でも異色作。
上述したとおりに沈鬱な雰囲気の曲が並びます。
しかしこうした音楽は同じように鬱に沈む人々にとっては限りなく優しく響くのです。
何度もリピートしてしまう魅力があります。
失恋がアーティストを強くいたしました。
鬱傾向の気分を逆手に取って作品を磨けるチカラを持っている。
宮本浩次とエレファントカシマシの強みです。
人生の区切り地点
「君」は答えをくれない
冬のにおい 俺はいつもの町を
ひとり歩いていたけれど
ばからしいぜ 遠い遠い夢を
重ね合わせていた
あぁ 俺は 何度も 何度も叫んだけど
あぁ もはや 君は 遠い遠い思い出の中
出典: さらば青春/作詞:宮本浩次 作曲:宮本浩次
「俺」独りだけの散策が続きます。
見慣れた町の佇まいの中に「君」と一緒に歩いていた日々の記憶を重ねてしまう。
青春の記憶と白昼夢。
「俺」自身がその虚しさに気付いていながらも空想をやめられないのです。
今でも「君」に向けてこの胸の痛みを訴えてしまいます。
それでも「君」から答えが返ってくることはありません。
もはや「君」は青春の日の記憶の中でしか会えない人だからです。
時代を画する出来事
「さらば青春」は大ヒット曲「今宵の月のように」の直後のシングルのカップリング曲です。
不遇な時代の苦闘が実ってようやくメインストリームへ。
その直後に過去の失恋とのさよならを告げる。
それも青春時代全体への別れの歌に昇華します。
宮本浩次が失恋を経験したエピック・ソニー時代のエレファントカシマシ。
この時代の彼らこそ至高だという声もありますがチャート・アクションのようなものは惨敗でした。
やがてそのエピック・ソニーとの契約も解除されて全国のライブ・ハウスを「ドサ回り」します。
青春の栄光と挫折。
エレファントカシマシのメンバーの青年期は波乱万丈でありながらも恵まれていたとはいえません。
しかしポニーキャニオンと契約して再デビューを果たすとアルバム「ココロに花を」がオリコンで10位。
そして続く「今宵の月のように」の大ヒット。
この段階に至ってエレファントカシマシは大人のバンドへと成長します。
もはや青春期ではなくなり緊張感でピリピリと張り詰めていたステージングも丸くなりました。
宮本浩次はここが人生の区切りだと判断したのでしょう。
若く蒼い日々すべてに「さらば青春」と口ずさむのです。
時間だけが人を癒やせる
極限まで絞り込まれた言葉たち
嘘つきじゃないさ 時間が過ぎただけさ
涙こぼれて ただそれだけ
僕ら そうさ こうして いつしか大人になってゆくのさ
いざゆこう さらば 遠い遠い青春の日々よ
あぁ 俺は 何度も 何度も抱きしめたけど
あぁ もはや 君は 遠い遠い思い出の中
出典: さらば青春/作詞:宮本浩次 作曲:宮本浩次
クライマックスの歌詞です。
宮本浩次の歌詞はスピード感のある曲ですと饒舌に過剰なほどの言葉を投げかけます。
しかし「さらば青春」のようなミディアム・テンポの楽曲では言葉を極限まで絞り込むのです。
若い日々のうちは失恋から立ち直るのは並大抵のことではありません。
それでも時間だけが心の傷をいつしか癒やしてくれます。
「もう立ち直れない」
そう思った失恋も時間が経つに連れてただ胸を焦がす切ない思い出になるのです。
いま失恋の痛手を負っている人もどうか悲観しないでください。
いつか自分の足できちんと立ち直り、痛手を負った分だけ他者の気持ちも分かるようになります。
彼、彼女はどうして僕、私のもとを去っていったのか?
それは何かひとつの理由だけではなく人生の折り目と節目の境でいつか起こることだったと諦観できます。
大人になることとは少し悲しいことですがそうした諦観・諦念をいくつか経験することでもあります。