楽しい時や安定した状況では、人は自分の居場所を見つめ直すことはなかなかありません。

逆境に立たされた時、改めて自分がいる場所を再認識するのです。

そしてようやく、実は世界はここだけではなかったことを知るのでしょう。

まだまだ知らない世界はたくさんあります。

大人にだって知らない世界が数多とあるのですから、子供は一層そう感じることでしょう。

提示された新しい世界という選択肢が、現実を変えていくことになるかもしれません。

ただしそれは、流れというものに過ぎません。

それが、5行目の「だけ」に表れているように思えます。

ヒトという存在

1番は「僕」という主人公を取り巻く世界が、具体的に語られていました。

一方次に紹介する2番は、どちらかというと「人間」という存在に焦点が当てられているように感じられます。

自分を知りたいと思うなら、「人間って何だろう」という思いを馳せることもあるでしょう。

「ヘミソフィア」ではヒトという存在をどう捉えているのでしょうか。

強さって何?

教えて“強さ”の定義
自分 貫く事かな
それとも自分さえ捨ててまで守るべきもの守る事ですか

出典: ヘミソフィア/作詞:岩里祐穂 作曲:菅野よう子

子供や若い人に、大人は「強くなりなさい」と言います。

しかし「強さ」とは具体的に何でしょうか。

「僕」もそう思ったのか、歌詞では2つ挙げられています。

筆者から見ると、どちらも「強さ」なような気も…。

「強さ」には色々な種類があります。

特に人の和を大切にしたがる日本では、前者の自分を突き通すことはとても難しいことです。

後者の自己犠牲だって、なかなかできるようなことではありません。

どちらにしても素晴らしいことです。

そしてそれは、逆にワガママだとか自己愛がないだとか揶揄されます。

そのため、どちらか一方と確定付けることは不可能でしょう。

それでも歌詞で主人公が苛まれているのは、色々な種類の強さを押し付けられたのかもしれません。

全く違う場面で「強くなりなさい」「強くなりなさい」と同じことを言われ続けたら、混乱して当然です。

「強くってなんだよ!」と思うでしょう。

そうなのですけれど、今の若い人や子供たちも同じことを言われ続けているような気がします。

そう書く筆者にもなんとなく身に覚えがあるような…。

「強さ」って、答えが一つではないのでとても難しいですね。

自然の掟

サバンナのガゼルが土煙りを上げる
風ん中 あいつらは死ぬまで立ち続けなければいけないのさ

出典: ヘミソフィア/作詞:岩里祐穂 作曲:菅野よう子

今まで人間の話をしていたのに、突然まったく違う動物が登場しました。

ガゼルとは、アフリカやアメリカのサバンナや砂漠にいる鹿のような動物です。

ライオンのような肉食動物が天敵なので、生まれた時から立って歩けるようになっています。

まさに自然の厳しさを象徴している生き物ですね。

恐らくこの部分の歌詞はそのことを述べているのでしょう。

何故いきなりガゼルの話が出てきたのかについては、次の歌詞を見ると分かります。

ヒトの在り方

ヒトは歩き続けて行く
ただ生きてゆくために
不完全なデータを塗り変えながら進む
始まりの荒野を独り もう歩き出してるらしい
僕は灰になるまで僕で在り続けたい

出典: ヘミソフィア/作詞:岩里祐穂 作曲:菅野よう子

人間もまた、死ぬまで歩き続けなければなりません。

歩くのは人生です。

そしてその人生とは、サバンナのような過酷な道のりとなります。

時折向かってくる脅威から逃げ、逆風でも立ち続けなければなりません。

そう考えると、人間もまたガゼルのような存在なのでしょう。

3行目は記憶や経験、成長と共に分裂していく細胞とも解釈できます。

どれもヒトを「人間」として構成するものとなります。

人間は決して完璧な存在になれないのであれば、それを形成するモノだって100%ではない筈。

どこまでも完全になれないけれど、それが「自分」です。

100%になれなくても良いから、自分は自分のままで一生いたいのでしょう。

誰かの代わりなんて、まっぴらごめんなのです。

世界に投げ出された「僕」

人間はこの世に生まれ落ちた瞬間から、この世界に投げ出されたも同然です。

その後の道をどう歩むのかは自分次第。

もちろん最初の内は親がいますが、大きくなれば自分自身で歩かなくてはなりません。

そんなあまりにも過酷すぎる人生で、「僕」は何を見るのでしょうか。

人生の舞台