【木綿のハンカチーフ/太田裕美】歌詞の意味を徹底解説!テーマは遠距離恋愛!でも結末が切なすぎる…!の画像

恋人よ 君を忘れて
変わってく ぼくを許して
毎日 愉快に過す街角
ぼくは ぼくは帰れない

出典: 木綿のハンカチーフ/作詞:松本隆 作曲:筒美京平

聴く者の不安は最悪な形で的中します。

この時代の東京は地方出身者にとってそれほど魅惑的な街であったのでしょう。

遠距離恋愛は男性の心変わりで潰えます。

一度故郷を捨てて東京に出た者は、その後、中々帰省もできない風潮が遺っていた時代です。

男性が青春期から大人の男になる年頃でもあります。

スマートフォンもLINEなどのSNSもない時代に、お互いの顔が見えない交際は難しいのでしょう

女性からの最後の返信手紙が泣けます。

涙を拭くハンカチ

あなた 最後のわがまま
贈りものをねだるわ
ねえ涙拭く木綿の
ハンカチーフください
ハンカチーフください

出典: 木綿のハンカチーフ/作詞:松本隆 作曲:筒美京平

タイトルの意味を回収するラストの展開が見事です。

遠距離恋愛はこのカップルには難しかったよう。

素晴らしすぎる歌詞に特に添える言葉はないのですが、素材が「木綿」であることが大切

「シルク」ではまったく情感が出ません。

上質なハンカチでなくてもいい。

素朴なハンカチでいいから、いまは涙を拭かせて欲しい。

女性の一途な思いに聴く者も涙を禁じえません。

若き松本隆の才能を見込んだひとびと

松本隆、挑発に乗る

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松本隆はかねてより歌謡曲の歌詞を書いてみろと挑発されていたそうです。

「あんなものいつでも書ける」

そんな思いで何組かの歌手・アーティストに歌詞を提供しますがヒットには至りません。

ようやく大ヒットの幸運を掴んだのが、この曲「木綿のハンカチーフ」です。

最初に歌詞を書き上げたときは、この歌詞に曲を乗せることはできないだろうと筒美京平を挑発します。

しかしそこは稀代のヒット・メイカーたる筒美京平。

歌詞が多少長いことに苦労しますが、あっけなく曲を完成させます。

いまでも筒美京平はこの曲がお気に入りだそうです。

万人に愛される名曲ですから当然かもしれません。

「およげたいやきくん」などの同時期の大ヒット曲のためにオリコンチャートこそ2位にとどまります。

それでも150万枚以上のセールスを記録しました。

松本隆がロックにこだわり続けていたら、これだけの売上は望みようがなかったでしょう。

松本隆の歌謡曲、ポップスへの転身は日本の音楽界にとっても幸運なことでした

「木綿のハンカチーフ」のモデル

モデルの男性は九州男児

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「木綿のハンカチーフ」にはモデルとなる人物がいました。

また、作詞を担当した松本自身が2017年11月18日放送のTBS系サワコの朝で語ったところによれば、当時のディレクターの白川隆三が九州の炭鉱町で生まれ育った人物であり、当人より「松本くんの歌はずっと東京で生まれ育った人の内容だから、地方の人にはうけない」と指摘されたことを踏まえ、白川をテーマに書いたという。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/木綿のハンカチーフ

松本隆の本来あるロック的な反骨精神が垣間見られるエピソードです。

いろいろな人が松本隆の才能を見込んでわざと彼を挑発したのかもしれません。

モデルを決めただけでこれだけドラマティックな歌詞を書き上げられるのですから、やはり天才です。

また繰り返しになりますが男女の手紙の往復で遠距離恋愛を描く手法は当時の歌謡曲においては革命的

「木綿のハンカチーフ」は日本人には忘れがたい名曲となり、太田裕美は何度もベスト盤を出し続けます。

1975年、日本の歌謡史の奇跡

太田裕美なくして松本隆なし

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2010年5月16日、松本隆作詞家生活40年記念コンサートに出演した際、「今の太田裕美があるのは松本隆のおかげ、今の松本隆があるのは太田裕美のおかげ」と冗談めかして発言した。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/太田裕美