フォークソングの代表曲

「かぐや姫」最大のヒットソング

【神田川/かぐや姫】隠された歌詞の意味を紐解く!やさしさが怖かったと歌う2人の関係性を考察!の画像

1973(昭和48)年9月、3人組のフォークグループ「かぐや姫」がリリースした「神田川」

リーダーの南こうせつが、ラジオ局の放送作家だった喜多條忠(当時の表記は喜多条忠)に作詞を依頼しました。

喜多條は学生時代に同棲していた彼女との思い出をモチーフに、わずか30分ほどで書き上げたといいます。

出来上がった歌詞を喜多條からの電話で聞いた南は、その場でメロディーが浮かんだそうです。

「神田川」は、同年7月発売のアルバム「かぐや姫さあど」に収録されました。

南がDJを担当していたラジオの深夜番組でオンエアしたところ、リスナーからリクエストが殺到。

哀愁漂うバイオリンの音色も印象的な「神田川」はシングル曲としてリカットされ、ミリオンセラーを記録しました。

70年代の若者文化のシンボル的な曲で、神田川に架かる東京都中野区の橋のたもとには歌碑が建立されています。

切なくも美しい歌詞と旋律を併せ持った名曲をお聴きください。透き通るハーモニーも聴きどころです。

「四畳半フォーク」の代名詞

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「神田川」の代名詞でもあるのが「四畳半フォーク」という言葉。

1960年代に米国で広がったフォークソングは、ボブ・ディランピーター・ポール&マリーなどに代表される若者の音楽でした。

人種差別反対やベトナム反戦のメッセージを込めた、プロテストソングと呼ばれるフォークです。

同時代の日本もまた、日米安保闘争や東大・日大闘争をはじめとする学生運動が盛んでした。

プロテストソングは社会派フォークのミュージシャン、作品を生み、若い世代の閉塞感や憤りを代弁します。

しかし、国家権力にねじ伏せられた学生運動は70年代に入ると行き詰まり、リアリティーを失いました。

「虚無」に陥った若者たちの心をつかんだのは、個人のささやかな生活や恋愛を歌ったフォークソング。

生活派フォーク、私小説フォークと呼ばれる、歌詞も旋律も日本的なウェット感に包まれた音楽です。

こうした曲はやがて四畳半フォーク」と称されるようになります。

地方の親元を離れ、東京や大阪などの大都会に出てきた当時の学生の平均的な住まいが、四畳半一間の安アパート。

彼らの生活感を象徴したキーワードが「四畳半」だったのです。

ちなみに、「神田川」の歌詞には「三畳一間の小さな下宿」というフレーズが登場します。

J-POPの源流

時代を反映する力

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「四畳半フォーク」という言葉を初めて使ったのは、松任谷由実(当時は荒井由実)だったとも言われています。

貧乏じみた生活のわびしさを追憶する暗い雰囲気の曲を、揶揄(やゆ)するニュアンスが含まれています。

1972(昭和47)年に発売された、ある週刊誌には「四畳半フォーク」をプロテストソングと対比した、こんな記述が。

「去勢されたロック・フォーク」

「四畳半ムードのいかにも男女のカッタるい感じの歌」

しかし、当時の若者にとって「四畳半フォーク」の世界にこそ、リアリティーがあったことは否めません。

他愛のない日常をありのまま切り取って表現する手法は、後のJ-POPに脈々と受け継がれます。

「何でもない毎日にこそ、その時代を生きる人々の息遣いがある」という事実。

若者たちの等身大の世界を歌って共感を集めたのが「四畳半フォーク」でした。

その時代の空気を作品として永遠に残せる音楽の素晴らしさを、見事に証明してみせたといえます。

古い社会への抵抗

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「四畳半フォーク」の定番と言える恋愛の舞台が「同棲」です。

婚前交渉などもっての外だったのはもちろん、自由恋愛さえ憚(はば)かられていた当時。

日本社会の古く、息苦しい価値観を打ち壊そうという若者たちの行動が「同棲」という形で顕在化したのです。

「神田川」がリリースされる前の1972(昭和47)年には、漫画「同棲時代」が大ヒットします。

時に傷付け合いながらも、深く愛し合う恋人たち。

しかし、精神的にも経済的にも未熟なカップルを待ち受けていたのは、破滅的な別れでした。

「四畳半フォーク」で歌われる2人の暮らしも困窮を極め、未来の明るさなど感じられないものがほとんど。

爪に火を灯すような生活で味わう惨めさや葛藤が、ディテールまで赤裸々につづられています。

あまりにも刹那的な純愛に全てを捧げた情念は、時代を隔てたリスナーの胸にも響くのです。

「神田川」の歌詞が意味するもの

女性目線の歌?

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貴方は もう忘れたかしら
赤い手拭 マフラーにして
二人で行った 横丁の風呂屋
一緒に出ようねって 言ったのに
いつも私が待たされた
洗い髪が芯まで冷えて
小さな石鹸 カタカタ鳴った
貴方は私の 身体を抱いて
冷たいねって 言ったのよ

出典: 神田川/作詞:喜多條忠 作曲:南こうせつ

「神田川」もまた、貧しさの中で営まれた同棲生活を追憶した曲です。

神田川が流れる、都心の「三畳一間の小さな下宿」。

男女の暮らしが貧しいものであることは、容易に想像できます。

寒空の下、首に手拭いを巻いて銭湯に出掛ける2人。

相手が出てくるのを外で待つ間に、すっかり冷え切った湯上がりの髪。

凍えた身体が震えるのに合わせて箱の中で鳴る、使い古された石鹸。

そんな身体を抱くしか術がない切なさ。

貧しさゆえの。何とも言えない悲哀が伝わる描写です。

ところで、この歌詞の語り手は男性、それとも女性でしょうか。

冒頭の「忘れたかしら」という言葉遣いから、女性を連想するのが自然なように思えます。