我が道を往く有り様を想像させるような歌詞が連続します。
堕ちていっている自覚がなく、どこに向かっているのかさえ分からず答えることができないのです。
向かうべき道が定まっていないにも関わらず、負い目を感じているのでしょう。
堕落していく自分自身と自問自答し、彷徨っているのかもしれません。
堕ちるところまで堕ちてやる、と虚勢をはっているとも考えられます。
いずれにしろ、自分ではどうすることもできない葛藤に苛まれているのです。
誰もが経験している?
もしかすると皆さんも経験がおありではないでしょう?
仕事や恋愛など、現状から抜け出せなくなるかもしれない危機感。
このままではヤバイと分かっていても、善意で手を差し伸べてくれる人に対しなぜか背いてしまったり。
主人公には人生の時々やターニングポイントで、キーマンが存在しています。
「変わるなら今だ」と、信頼する人から警告を受けていたのでしょう。
ともすれば、あなたに1番近い誰かや肉親なのかもしれません。
悖る(もとる)とは、従うべきコトに抗うという意味です。
助言を有り難く受け止めつつも、ただ反抗するしか術のない自身を憂い憤っているのでしょう。
悔し涙やもう笑うしかない、と様々で複雑な感情が入り交じり滲みでた微笑なのです。
あるべき姿の行方
其処に立つ
歪みとなる意義の
忘れぬ その慰みの姿
今も捜す 何処でも
出典: BASIS/作詞:TOSHI-LOW 作曲:BRAHMAN
あの時受けた警告や心づかいは、いつまでも主人公の頭の片隅に焼き付いています。
心が荒み締めつけられ、「自暴自棄になっていたあの頃を絶対に忘れない」。
短い言葉の裏には、助言者への感謝してもしきれない情感がたっぷりの様相です。
改心のため、決して容易に掴み取ることのできない何かを捜しに答えのない旅に出るのでしょう。
それは俗にいう、思いつきや軽い自分探しの旅などではありません。
傲慢な己の心を自戒し、本当のあるべき姿を受け止めたゆえの旅といえるでしょう。
捜し求める何かが見えてくる
無駄に生きるな
焦る果ての波風の無きもの
月日耐える枯れ身には届かぬ
やがて下がる面上げて
激つ想い 行きたくて止まらず
出典: BASIS/作詞:TOSHI-LOW 作曲:BRAHMAN
行き着くところまで来たものの、そこには何も存在しませんでした。
虚無の世界を描いているのでしょうか?
本来見えるはずの景色が、幾日も彷徨い答えを捜し続けても見えません。
在るのはただ其処に立つ己の姿のみ。
それもそのはず、模索していたようで実際は立ち止まりその場でもがき喘いでいただけだったのです。
いつからか下を向いて生きてきた人生。
それにより、其処という現状から抜け出せていなかったのです。
自らを見つめ直したのでしょうか。
猛烈な感情を抑えきれず、次第に顔は上がり前へまた一歩進みだすのです。
収まりつかない沸々と湧き昇る、熱い気持ちがもっと先へ走り出そうとしています。
もう二度と立ち止まることはないでしょう。
儚い命
其処に無い
明日の姿捜す
途切れぬ この
朽ち果てるために生きる印
此処でも…
出典: BASIS/作詞:TOSHI-LOW 作曲:BRAHMAN
いくら捜しても「其処」にあるはずはない。
虚無の世界という「底」でぐるぐる回っているだけの負のループなのだから。
現状に甘んじることなく、常に目の前の何かを捜し求めるべきだ。
人の心や物事は、儚く移ろいやすいのだからその時々の立ち居振る舞いを見誤るな。
一度しかない人生、悔いなくボロボロになるまで生きることを全うしろと言っています。
生きた証を、どこに居たとしても自分らしく示そう。
そう伝えているのだと、解釈しているうちに憶えるようになったのです。
この世は「諸行無常」なり
まるでこの感覚は、皆さんも学生時代に触れたアレに似ているのでは?そうです!
この世は儚く常に変化してゆくものである、と詠われる「祇園精舎」。
「其処」とは、驕り高ぶる者は必ず衰えるという人間の「底」を比喩した言葉ではないのか?
という解釈に至りました。
己の足元からまず固めろと表現しているのです。
男臭く無骨なBRAHMANが、「BASIS」に込めたメッセージなのだと締め括らせていただきます。