MVから考える「没個性」
いい加減に終われ 私・オン・パレード
きらめく痛さと 小鳥と鈴と
探してこわす エゴのテンプレート
見果てた夢でした 僕はどノーマル
出典: エゴサーチ&デストロイ/作詞:志磨遼平 作曲:志磨遼平
個性を強く主張するものたち
現代はよくカオスの時代だといわれます。
各々が好きな音楽を聴き、好きなYouTubeのチャンネルを見る。
皆が違う画面を見ながら生活する社会。
そんな視聴率の低い社会ですが、それゆえ「個性」ということを強く求めるようになってきました。
広く繋がった社会がなくなっていくにつれて、個人の社会となっていきます。
そこで、自分の存在している意味を求めるようになってきたのです。
しかし、そんな者たちに向けて放たれたこの部分の歌詞。
「私、私」うるさいよ。
そういっているようです。
ちなみに「小鳥と鈴」は小学校の教科書にも載っている金子みすゞさんの詩からの引用です。
「みんな違ってみんないい」の詩ですね。
あの詩も、個性や個人を肯定する詩です。
自我は典型である
この曲のタイトルは「エゴサーチ&デストロイ」です。
つまり、自我を見つけて、つぶせということ。
ベトナム戦争の「サーチ&デストロイ」から考えるととても旨いもじりかたです。
選民のパンデミック
らせん状のアリア
ーーさがせ、エゴを!
ーーこわせ、エゴを!
ディグりディグられあいの末
出典: エゴサーチ&デストロイ/作詞:志磨遼平 作曲:志磨遼平
そして、自我とは典型的なものだといっています。
優しい人、楽しい人、起こりっぽい人、芸術的な人、病み症の人。
どれをとっても、言葉にしている時点で自分以外にも該当する人がいるものばかり。
それどころか、他人がいなければその形容詞さえ生まれないのです。
だからこそ、そんなものを壊してしまえといっているのです。
ちなみに「らせん状のアリア」はバッハの名曲「G線上のアリア」から。
個性とDNAとの関連性をチラつかせていると考えられます。
パンデミックは流行病のこと。
自分は特別だと思いたい病的な感情のことでしょうか。
どちらもウィットに富んだ歌詞センスです。
しかし、そんなに壊して、一体何をしたいのでしょう。
MVから考える「ノーマルな僕」
最後は左右の男が重なる
画面左側で髪を整え、服装を整え、テキパキしている様子が逆再生されている「平凡さん」。
彼は「没個性」の象徴です。
個性を失った人間の象徴。
しかし個性などないのです。
右側で、自分の個性を見つけるべく必死に足掻く男の姿があります。
しかしこのMV、結局最後は同じ人だったという結末が待っていますね。
そうです。
結局右の男は左の男になっていくのです。
つまり、個性を求める者は個性を失ってしまうということです。
見事!MV中の対比
このMVは逆再生の他にも本当に巧みな対比表現がなされています。
まず、ペンキのシーン。
右側の男は個性を見出すためペンキを何色も塗り重ねていきます。
しかし、左の「平凡さん」はその色を一色ずつ剥がしていくようです。
十人十色という言葉がなんだか頭をよぎりますね。
まるで「十人無色」と言わんばかりの平凡さんの色の剥がし様です。
そして、部屋を散らかすシーン。
個性を探して、右側の男は部屋を荒らし、探しまくります。
しかし逆再生なので、平凡さんはそれを丁寧に片付けているようです。
なぜ平凡さんは逆再生?
逆再生なのは、「過去を繰り返す」ということでしょう。
個性がないことをよしとする時代が再びやってくる。
そしてやめたはずの争いを繰り返す。
その暗示ではないかと思います。
ここは、たいへん解釈の余地があるところですのでぜひ皆さんも考えてみてください!