「ありがとさん」と生と死と
2019年10月9日発表、スピッツの通算16作目のアルバム「見っけ」。
このアルバムに収録された「ありがとさん」について解説いたしましょう。
引き摺るような重いベースが印象的なサウンドになっています。
オルタナティブ・ロックのような趣があるイントロとアウトロを響かせるのです。
ボーカルが始まるといつものスピッツの歌の世界でホッとします。
とはいえ「ありがとさん」の歌詞の解釈は一聴して感じるほど簡単なものではありません。
草野正宗らしく生と死の間にある物事を描いているのです。
歌詞の情報量は簡素で短いものになっています。
その分、長く引き摺ってゆくようなアウトロのサウンドが歌の世界を雄弁に語るのです。
君と一緒に生きた短い日々がどのようなもので、今、僕と君はどうなってしまったのか。
歌詞を丁寧に見ながら若き日の希望と失われたものへの感謝を見つめてゆきましょう。
それでは実際の歌詞をご覧ください。
青春の尊さ
ふたりで過ごした日々は
君と過ごした日々は やや短いかもしれないが
どんなに美しい宝より 貴いと言える
出典: ありがとさん/作詞:草野正宗 作曲:草野正宗
歌い出しの歌詞になります。
その前にやや不吉なくらいに重いベースサウンドが奏でられていることを忘れないでいてください。
登場人物は語り手と一緒に暮らしていた君です。
謎なのは語り手の一人称が登場しないことでしょう。
語り口調からは男性であると推察されます。
そして君の性別に関しては女性の姿が自然に浮かぶでしょう。
ただこの解釈にも色々と注文がつくようです。
というのも公式MVでの男臭い空間の印象が尾を引いているのかもしれません。
この相手の君を同居している男友だちだと解釈する方もいらっしゃるのです。
まず公式MVを見てどちらの解釈が正しいのか皆さんなりの結論を抱いてください。
このページからMVへのリンクを貼りました。
この記事では君の性別を主に便宜上、女性として扱います。
しかし男性同士の友情のストーリーという解釈も排斥しないようにしたいです。
少し不穏なのはなぜ
草野正宗の優しい声音で歌われるとイントロに感じた不穏さが氷解します。
スピッツのサウンドとボーカルの絶妙なバランスにホッとするはずです。
語り手はかつて君と過ごした青春の日々を回想しています。
若い頃に破綻してしまった同棲・同居生活をした人には特に沁みるでしょう。
ただ、その同棲・同居の期間がちょっと短かったねという辺りにまた不穏さを感じてしまいます。
この点で感じた不穏さについてはもう少し後の方で詳述しましょう。
短かったにも関わらずなのか、短かったからこそなのか。
とにかく語り手は君と過ごした青春の日々の尊さにまぶしさを感じてしまいます。
その分、今の語り手の近況が芳しくないのかもしれません。
この歌い出しは君と過ごした日々への総論のようなものを最初に語ったものです。
序文の書き出しで最初に大まかな状況を説明しているようなものと考えてください。
幼虫が葉をついばむように過去を少しずつ咀嚼しています。
具体的な生活の様子はこの後に描かれるのです。
今、語り手は戻れない日への追憶に浸っていることでかけがえのない青春を反芻しています。
時間にしてはわずかなときであっても稀少な価値があったと断定するのです。
追憶の中のふたり
味覚で想い出す記憶
お揃いの大きいマグで 薄い紅茶を飲みながら
似たようで違う夢の話 ぶつけ合ったね
出典: ありがとさん/作詞:草野正宗 作曲:草野正宗
いよいよふたりの暮らしの具体的な描写に移ります。
回想してゆくうちに記憶の細部が鮮明になるような印象を抱いてもらえばいいでしょう。
まずはペアのマグカップです。
君の性別を便宜上、女性としたのはこの描写のみを根拠にしています。
新生活を一緒に始めるために同じマグカップを買い揃えてみたのではないかという推察です。
自宅で煎れる紅茶は喫茶店で注文するものとは違っていかにも素人が作りましたという味になります。
これはふたりが若かった証拠でもあるでしょう。
もう少しふたりでいられたならば紅茶の煎れ方も上手になったはずなのです。
些細な事柄を思い出すうちに口の中で当時の紅茶の味が甦るような錯覚を感じてしまいます。
マドレーヌの味で膨大な記憶が甦るのがプルーストの小説「失われた時を求めて」です。
味覚というものは記憶との結びつきが深い不思議な感覚のうちのひとつでしょう。
忘れ難い味というものの中に人は様々な記憶を詰め込んでいるのです。
それが美味しい場合でも不味いときでもどちらでもそれなりに想い出が沁みるのですから不思議でしょう。
あの夢はいまどうしているの
ふたりには若いからこその夢がありました。
一緒に暮らすくらいですから夢の輪郭のようなものは概して同じでしょう。
しかしどこまでも同じ夢、たとえば同じバンドメンバーとして成功したいというものではなかった。
たとえば音楽家になりたいという夢と美術家になりたいという夢。
似たような夢物語のようですが実現までの道程が違う夢をそれぞれが抱いていたのかもしれません。
人は年齢問わず誰しもが夢を持っていいはずです。
中年・壮年・老年になってから新しい夢を抱いてみることも素晴らしいことでしょう。
ただ若い頃の夢というものは一生涯その人を縛ってゆくような気がします。
アストロノーツになる夢を持っていた人は一生涯夜空に星を確認する習慣を捨てないでしょう。
バンドマンが夢だった人は埃にまみれたギターをときどき鳴らすこともあるはずです。
その響きが歪(いびつ)であることに哀しみを感じたりするかもしれません。
なぜ夢を諦めて今この仕事をしているのだろう。
それで結果はよかったのか悪かったのか考えてみたりするはずです。
若い夢にはその人の心のうちで特権的な地位が与えられているのを誰しもが知っています。
若いリスナーの皆さんは今そうした夢を抱いている真最中でしょう。
胸を焦がす恋と同じくらいに夢も大切なものだと知っているはずです。
語り手はかつての夢を今どのように回想しているのでしょうか。
草野正宗を語り手と想定するならば夢は叶ったのかもしれません。
では君の夢はどうなったのでしょう。
ここでは明示されていないのです。
大切なことは回想されたシーンそれ自体なのでしょう。
ふたりで色々と夢を語ったあの日のかけがえのなさに思いを浸らせているひとときなのです。